澄田𧶛四郎
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- すみた らいしろう
- 澄田𧶛四郎
- 陸軍中将功三級
- 砲兵
- 士候24 陸大33首席
- 群馬県
- 明治23年10月21日 - 昭和54年11月2日
経歴
明治23年10月21日 | 生 |
明治45年5月28日 | 陸軍士官学校卒業(士候24) |
大正1年12月24日 | 任陸軍砲兵少尉 |
大正7年12月11日 | 陸軍大学校入学 |
大正10年11月28日 | 陸軍大学校卒業(第33期首席) |
昭和8年6月22日 | フランス大使館附武官 |
昭和10年8月1日 | 陸軍砲兵大佐 |
昭和10年9月25日 | 陸軍大学校兵学教官 |
昭和11年3月28日 | 参謀本部演習課長 |
昭和12年8月2日 | 野砲兵第3聯隊長 |
昭和12年9月1日 | 砲兵監部部員 |
昭和12年11月1日 | 独立野戦重砲兵第15聯隊長 |
昭和13年7月15日 | 陸軍少将・野戦重砲兵第6旅団長 |
昭和14年10月2日 | 陸軍重砲兵学校長 |
昭和15年9月28日 | 大本営参謀(仏印派遣団長) |
昭和16年8月25日 | 陸軍中将 |
昭和16年9月3日 | 第39師団長 |
昭和19年11月22日 | 補第1軍司令官 |
昭和24年2月 | 復員 |
昭和54年11月2日 | 死去 |
栄典
大正2年2月20日 | 叙正八位[1] |
大正5年3月20日 | 叙従七位[2] |
昭和5年11月1日 | ポルトガル王国アヴィスの聖ベネディクト勲章コマンドール佩用允許 |
昭和10年9月16日 | 叙従五位[3] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[4] |
昭和16年7月8日 | 勲二等瑞宝章[5] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第243号 昭和19年11月24日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120925900