瀬名義利
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- せな よしとし
- 瀬名義利
- 陸軍少将正四位勲三等功四級
- 砲兵
- 草創期
- 静岡県
- 嘉永5年11月27日 - 大正11年4月12日
経歴
嘉永5年11月27日 | 生 |
明治7年9月4日 | 任陸軍少尉 |
明治29年5月15日 | 砲兵第3方面本署長 |
明治29年11月5日 | 陸軍砲兵大佐 |
明治31年10月1日 | 門司陸軍兵器本廠長 |
明治33年2月6日 | 休職 |
明治34年11月30日 | 参謀本部附被仰付[1] |
明治35年1月1日 | 補野砲兵第11聯隊長[2][3] |
明治35年7月18日 | 休職被仰付[4] |
明治37年6月7日 | 碇泊場司令官 |
明治38年2月27日 | 後備第2師団兵站監 |
明治38年10月3日 | 任陸軍少将 |
第4師団司令部附 | |
明治39年6月12日 | 休職被仰付 |
明治40年3月2日 | 予備役[5][6] |
明治43年4月1日 | 後備役[5] |
明治43年4月8日 | 遊就館長被仰付(~大正11年) |
大正4年4月1日 | 退役 |
大正11年4月12日 | 死去 |
栄典
明治18年4月7日 | 勲五等双光旭日章 |
明治22年7月15日 | 叙従六位 |
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章 |
明治26年5月26日 | 勲四等瑞宝章 |
明治28年12月6日 | 勲三等旭日中綬章 賜金500円 |
明治29年12月21日 | 叙従五位 |
明治35年5月10日 | 明治三十三年従軍記章[7] |
明治35年7月18日 | 叙正五位[8] |
明治37年3月5日 | プロイセン王国赤鷲第二等勲章佩用允許 |
明治39年4月1日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 明治三十七八年従軍記章[9] |
明治39年9月18日 | 大韓帝国勲二等太極章佩用允許 |
明治40年5月10日 | 叙従四位(特旨)[10] |
大正11年4月13日 | 叙正四位(特旨)[11] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第535号 明治18年4月17日(金曜日)
- 官報第1820号 明治22年7月24日(水曜日)
- 官報第1938号 明治22年12月12日(木曜日)
- 官報第2974号 明治26年5月31日(水曜日)
- 官報第3744号 明治28年12月19日(木曜日)
- 官報第4046号 明治29年12月22日(火曜日)
- 官報第6250号 明治37年5月4日(水曜日)
- 官報第6681号 明治38年10月4日(水曜日)
- 官報第6885号 明治39年6月13日(水曜日)
- 官報第6982号 明治39年10月5日(金曜日)
- 官報第8036号 明治43年4月9日(土曜日)
- 官報第811号 大正4年4月19日(月曜日)
- 官報第384号 昭和3年4月12日(木曜日)
- ↑ 官報第5525号 明治34年12月2日(月曜日)
- ↑ 官報第5549号 明治35年1月4日(土曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に明治33年7月17日とあるのは誤り。
- ↑ 官報第5712号 明治35年7月19日(土曜日)
- ↑ 5.0 5.1 陸軍予備役後備役将校同相当官服役停年名簿. 明治45年7月1日調
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に明治38年10月3日予備役とあるのは誤り。
- ↑ 官報第5874号 明治36年2月4日(水曜日)
- ↑ 官報第5715号 明治35年7月23日(水曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月30日(日曜日)
- ↑ 官報第7157号 明治40年5月11日(土曜日)
- ↑ 官報第2908号 大正11年4月15日(土曜日)