烏谷章
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- からすだに あきら
- 烏谷 章
- 陸軍中将正四位勲一等功五級
- 歩兵
- 士候9
- 愛媛県士族
- 明治10年4月18日 -
経歴
明治10年4月18日 | 生[1] |
明治30年11月29日 | 陸軍士官学校卒業(士候9) |
明治31年6月27日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治33年11月21日 | 任陸軍歩兵中尉[2] |
明治37年3月18日 | 任陸軍歩兵大尉[2] |
明治42年1月28日 | 任陸軍歩兵少佐[2] |
明治45年時点 | 陸軍省軍務局課員、高等軍法会議判士[2][3] |
大正4年8月10日 | 任陸軍歩兵中佐[3][4] 陸軍技術審査部御用掛ヲ免ス 高等軍法会議判士ヲ免ス 補歩兵第61聯隊附[3][5] |
大正6年8月6日 | 補岩国聯隊区司令官[5] |
大正7年7月24日 | 本郷聯隊区司令官 |
大正7年9月9日 | 任陸軍歩兵大佐[4] |
大正8年7月25日 | 陸軍省人事局恩賞課長 |
大正12年8月6日 | 任陸軍少将[6]・歩兵第7旅団長 |
大正15年3月2日 | 第16師団司令部附 |
昭和3年3月8日 | 任陸軍中将[7]・東京湾要塞司令官 |
昭和3年11月20日 | 第3師団留守司令官[8][9] |
昭和4年5月31日 | 第3師団司令部附 |
昭和4年8月1日 | 待命 |
昭和4年8月31日 | 予備役[1] |
昭和7年2月23日 | 留守第11師団長 |
昭和7年4月3日 | 召集解除 |
栄典
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲五等双光旭日章 明治三十七八年従軍記章[10] |
明治42年4月20日 | 叙従六位 |
大正3年時点 | 勲四等瑞宝章[11] |
大正3年5月20日 | 叙正六位 |
勲四等旭日小綬章 | |
大正7年10月10日 | 叙従五位 |
大正8年10月25日 | 勲三等瑞宝章 |
大正9年11月1日 | 旭日中綬章 賜金2550円 大正三年乃至九年戦役従軍記章 |
大正10年7月1日 | 第一回国勢調査記念章[12] |
大正12年11月20日 | 叙正五位[13] |
昭和3年4月2日 | 叙従四位 |
昭和3年9月29日 | 勲二等瑞宝章[14][1] |
昭和4年9月30日 | 叙正四位(特旨)[15][1] |
昭和9年4月29日 | 勲一等瑞宝章 昭和六年乃至九年事変従軍記章[16] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[17] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第7743号 明治42年4月21日(水曜日)
- 官報第542号 大正3年5月21日(木曜日)
- 官報第1858号 大正7年10月11日(金曜日)
- 官報第2169号 大正8年10月27日(月曜日)
- 官報第2610号 大正10年4月16日(土曜日)
- 官報第420号 昭和3年5月24日(木曜日)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 陸軍予備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和6年4月1日調
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治45年7月1日調
- ↑ 3.0 3.1 3.2 官報第908号 大正4年8月11日(水曜日)
- ↑ 4.0 4.1 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正9年9月1日調
- ↑ 5.0 5.1 官報第1505号 大正6年8月7日(火曜日)
- ↑ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正15年9月1日調
- ↑ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和4年9月1日調
- ↑ 官報第570号 昭和3年11月21日(水曜日)
- ↑ 官報での表記は「免本職」
- ↑ 官報号外 明治39年12月11日(火曜日)
- ↑ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正3年7月1日調
- ↑ 官報第2858号 大正11年2月14日(火曜日)
- ↑ 官報第3378号 大正12年11月26日(月曜日)
- ↑ 官報第531号 昭和3年10月1日(月曜日)
- ↑ 官報第842号 昭和4年10月19日(土曜日)
- ↑ 官報第2696号 昭和10年12月27日(金曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)