牟田敬九郎
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- むた けいくろう
- 牟田敬九郎
- 陸軍中将正四位勲二等功三級
- 砲兵
- 士官生徒1
- 佐賀県
- 安政2年6月 - 大正2年1月2日
経歴
安政2年6月 | 生 |
明治8年2月 | 陸軍士官学校入 |
明治10年7月3日 | 任陸軍少尉 |
第4師団司令部附被仰付 | |
明治29年10月15日 | 補東部都督部参謀 |
明治30年10月11日 | 陸軍砲兵大佐・野砲兵第6聯隊長 |
明治31年3月3日 | 近衛師団参謀長 |
明治35年5月5日 | 陸軍少将・舞鶴要塞司令官 |
明治39年3月3日 | 下関要塞司令官 |
明治39年6月1日 | 韓国駐箚軍参謀長 |
明治41年12月21日 | 陸軍中将・下関要塞司令官 |
明治43年11月30日 | 予備役 |
大正2年1月2日 | 卒去 |
栄典
明治19年11月27日 | 叙正七位[1] |
明治23年5月30日 | 勲六等瑞宝章 |
明治24年12月28日 | 叙従六位 |
明治28年3月8日 | 叙正六位 |
明治29年6月30日 | 功四級金鵄勲章 勲六等単光旭日章 |
明治29年11月25日 | 勲五等瑞宝章[2] |
明治30年10月30日 | 叙従五位 |
明治35年9月20日 | 叙正五位 |
明治35年11月29日 | 勲四等瑞宝章 |
明治37年12月12日 | 大清帝国二等第三双龍宝星佩用允許 |
明治38年5月30日 | 勲三等瑞宝章[3] |
明治39年4月1日 | 功三級金鵄勲章(年金700円) 勲二等旭日重光章 明治三十七八年従軍記章[4] |
明治40年10月11日 | 叙従四位 |
明治42年4月18日 | 皇太子渡韓記念章[5] |
明治42年5月25日 | 大韓帝国勲一等八卦章佩用允許 |
明治43年12月20日 | 叙正四位(特旨)[6] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報号外 明治29年8月14日(金曜日)
- 官報第3993号 明治29年10月19日(月曜日)
- 官報第6439号 明治37年12月15日(木曜日)
- 官報第7775号 明治42年5月28日(金曜日)
- 牟田敬九郎 - Wikipedia