田村沖之甫

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  • たむら おきのすけ
  • 田村沖之甫
  • 陸軍中将正四位勲二等功四級
  • 砲兵
  • 士官生徒10 陸大13
  • 山梨県
  • 慶応2年11月6日 - 大正8年4月11日

経歴

慶応2年11月6日 [1]
明治21年7月28日 陸軍砲兵少尉
明治29年12月 陸軍大学校入学
明治32年12月21日 陸軍大学校卒業(第13期)
明治35年2月1日 歩兵第5聯隊遭難者ニ関スル取調委員ヲ命ス[2]
明治41年12月21日 陸軍砲兵大佐野砲兵第4聯隊
明治43年10月1日 ドイツ大使館附武官
大正2年2月24日 陸軍省軍務局砲兵課長
大正3年5月11日 陸軍少将参謀本部第4部
大正5年8月18日 野砲兵第1旅団
大正6年8月6日 陸軍砲工学校
大正7年7月24日 陸軍中将[3]
大正7年11月1日 待命
大正8年4月11日 卒去

栄典

明治22年11月29日 大日本帝国憲法発布記念章[4]
明治24年12月9日 従七位[5]
明治28年10月12日 功五級金鵄勲章(年金300円)
勲六等瑞宝章[6]
明治28年11月18日 明治二十七八年従軍記章[7]
明治29年3月24日 正七位[8]
明治34年9月30日 従六位[9]
明治35年5月31日 勲五等瑞宝章[10]
明治38年2月3日 正六位[11]
明治39年4月1日 功四級金鵄勲章(年金500円)
勲三等旭日中綬章
明治三十七八年従軍記章[12]
明治42年3月1日 従五位[13]
大正2年3月4日 プロイセン王国赤鷲第二等勲章佩用允許[14]
大正3年4月21日 フランス共和国レジオンドヌール勲章オフィシェ佩用允許[15]
大正3年4月30日 正五位[16]
大正4年11月7日 勲二等瑞宝章
賜金1500円
大正三四年従軍記章[17]
大正7年8月30日 従四位[18]
大正8年4月11日 卒去
正四位(特旨)[19]
銀杯一箇陸軍治罪法海軍治罪法改正に尽力)[20]

出典

  • 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)