町田彦二
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- まちだ ひこじ
- 町田彦二
- 陸軍中将正四位勲二等功三級
- 砲兵
- 士候1 砲工高3優等
- 東京都
- - 大正10年5月5日
経歴
明治23年7月26日 | 陸軍士官学校卒業(士候1) |
明治24年3月26日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治28年11月26日 | 陸軍砲工学校高等科卒業(第3期優等) |
明治35年6月30日 | 任陸軍砲兵少佐[1] |
明治38年6月22日 | 任陸軍砲兵中佐[1] |
明治41年12月19日 | 教育総監部庶務課長 |
明治44年10月24日 | 野砲兵第15聯隊長 |
明治44年11月22日 | 任陸軍砲兵大佐[1] |
大正4年8月10日 | 野砲兵第18聯隊長 |
大正5年8月18日 | 任陸軍少将[1]・陸軍兵器本廠長 |
大正8年4月15日 | 陸軍技術会議議員被仰付 |
大正8年7月25日 | 待命被仰付 |
大正8年11月25日 | 補由良要塞司令官 |
大正9年8月10日 | 任陸軍中将[1] |
大正10年4月20日 | 待命 |
大正10年5月5日 | 卒去 |
栄典
大正7年5月23日 | 中華民国三等文虎勲章佩用允許 |
大正9年9月10日 | 叙従四位[2] |
大正9年時点 | 勲三等瑞宝章 勲四等旭日小綬章 功三級金鵄勲章[1] |
大正9年11月1日 | 勲二等瑞宝章 賜金2000円 大正三年乃至九年戦役従軍記章[3] |
大正10年5月5日 | 卒去 叙正四位[4] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第1743号 大正7年5月27日(月曜日)
- 官報第2008号 大正8年4月16日(水曜日)
- 官報第2093号 大正8年7月26日(土曜日)
- 官報第2194号 大正8年11月26日(水曜日)