町田經宇
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- まちだ けいう
- 町田經宇
- 陸軍大将
- 歩兵
- 士官生徒9 陸大9
- 鹿児島県士族
- 慶応1年9月3日 - 昭和14年1月4日
経歴
慶応1年9月3日 | 生 |
明治20年7月21日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治23年11月23日 | 陸軍大学校入学 |
明治26年11月30日 | 陸軍大学校卒業(第9期) |
明治33年10月31日 | 任陸軍歩兵少佐[1] |
明治37年6月30日 | 第4軍参謀 |
明治37年11月16日 | 任陸軍歩兵中佐[2] |
明治39年1月29日 | 仏国公使館附 |
明治40年11月13日 | 任陸軍歩兵大佐[2] |
明治42年4月1日 | 参謀本部戦史課長 |
明治42年8月1日 | 歩兵第48聯隊長 |
明治43年11月30日 | 第15師団参謀長 |
明治45年3月5日 | 任陸軍少将[2]・歩兵第30旅団長 |
大正3年8月8日 | 支那公使館附武官 |
大正5年5月2日 | 参謀本部第2部長 |
大正5年8月18日 | 任陸軍中将 |
大正6年8月6日 | 第11師団長 |
大正8年4月12日 | 第4師団長 |
大正10年6月15日 | 薩哈嗹州派遣軍司令官 |
大正11年5月10日 | 任陸軍大将 |
大正12年4月1日 | 軍事参議官 |
大正14年5月1日 | 待命 |
大正14年5月25日 | 予備役 |
昭和6年4月1日 | 後備役 |
昭和10年4月1日 | 退役[3] |
昭和14年1月4日 | 薨去 |
栄典
明治23年10月15日 | 叙正八位 |
明治25年1月27日 | 叙従七位 |
明治34年3月11日 | 叙従六位 |
明治34年11月30日 | 勲五等瑞宝章 |
明治36年時点 | 功五級金鵄勲章[1] |
明治40年12月27日 | 叙従五位 |
明治43年3月17日 | フランス共和国三等黒星勲章佩用允許 |
明治45年5月10日 | 叙正五位 |
明治45年時点 | 勲三等旭日中綬章 勲四等瑞宝章 功三級金鵄勲章 スウェーデン=ノルウェー聯合王国三等レペー勲章 フランス共和国四等レジオンドヌール勲章 スペイン王国二等陸軍武功勲章[2] |
大正4年11月7日 | 勲二等旭日重光章 賜金2000円 大正三四年従軍記章[4] |
大正5年9月11日 | 叙従四位 |
大正7年3月28日 | 中華民国二等大綬嘉禾章佩用允許 |
大正7年10月10日 | 叙正四位 |
大正8年12月15日 | 戦捷記章[5] |
大正10年7月1日 | 第一回国勢調査記念章[6] |
大正10年11月10日 | 叙従三位 |
大正10年11月30日 | 勲一等瑞宝章 |
大正13年12月15日 | 叙正三位 |
昭和9年4月29日 | 昭和六年乃至九年事変従軍記章[7] |
昭和14年1月9日 | 薨去 叙従二位(特旨)[8] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第3707号 大正13年12月29日(月曜日)