秋山練造
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- あきやま れんぞう
- 秋山練造
- 陸軍軍医中将正四位勲二等功五級医学博士
- 衛生部
- 東京都
- 明治5年7月26日 - 昭和17年8月14日
経歴
- 著書に「日清戦役衛生事蹟外科編」・「日露戦役衛生史戦傷編」[1]
明治5年7月26日 | 生[2] |
明治33年 | 東京帝国大学医科大学卒業[1] |
明治33年5月7日 | 任陸軍二等軍医(初任)[3] |
明治38年3月4日 | 任陸軍三等軍医正[3] |
明治43年8月30日 | 任陸軍二等軍医正[3] |
明治45年時点 | 陸軍軍医学校教官[3] |
大正3年時点 | 習志野衛戍病院長[4] |
大正4年 | 東京第2衛戍病院長[1] |
大正5年3月7日 | 任陸軍一等軍医正・陸軍軍医学校教官[5][6] |
大正6年時点 | 陸軍技術審査部御用掛[5] |
大正7年12月17日 | 補東京第1衛戍病院長兼陸軍軍医学校教官[6] |
大正9年4月9日 | 任陸軍軍医監・第12師団軍医部長[7] |
大正10年7月20日 | 浦塩派遣軍軍医部長 |
大正11年5月10日 | 陸軍軍医学校附 |
大正12年3月17日 | 第1師団軍医部長[8] |
大正13年12月15日 | 任陸軍軍医総監[2]・朝鮮軍軍医部長[9] |
大正15年3月2日 | 陸軍軍医学校長[10] |
昭和3年3月8日 | 待命 |
昭和3年3月29日 | 予備役[2] |
昭和10年4月1日 | 後備役 |
昭和12年2月15日 | 陸軍軍医中将(階級呼称変更) |
昭和12年 | 東京市立城東病院外科医長[1] |
昭和14年4月1日 | 退役[11] |
昭和17年8月14日 | 死去[1] |
栄典
明治45年時点 | 正六位 勲四等旭日小綬章 功五級金鵄勲章[3][4] |
大正6年時点 | 従五位 勲三等瑞宝章[5] |
大正9年時点 | 正五位[7] |
勲二等瑞宝章[8] | |
大正11年11月1日 | 旭日重光章(西比利亜地方派遣中ノ功)[12] |
大正14年時点 | 従四位[9] |
昭和2年時点 | ザクセン王国三等アルブレヒト勲章[13] |
昭和3年4月28日 | 叙正四位(特旨)[14][2] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[15] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第2490号 昭和10年4月24日(水曜日)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 秋山 練造(アキヤマ レンゾウ)とは? 意味や使い方 - コトバンク
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 陸軍予備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和9年4月1日調
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治45年7月1日調
- ↑ 4.0 4.1 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正3年7月1日調
- ↑ 5.0 5.1 5.2 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正6年9月1日調
- ↑ 6.0 6.1 官報第1913号 大正7年12月18日(水曜日)
- ↑ 7.0 7.1 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正9年9月1日調
- ↑ 8.0 8.1 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正12年9月1日調
- ↑ 9.0 9.1 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正14年9月1日調
- ↑ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正15年9月1日調
- ↑ 官報第3720号 昭和14年6月2日(金曜日)
- ↑ 官報第3347号 大正12年10月18日(木曜日)
- ↑ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和2年9月1日調
- ↑ 官報第412号 昭和3年5月15日(火曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)