能村磐夫
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- のうむら いわお
- 能村磐夫
- 陸軍中将正四位勲二等功五級
- 砲兵
- 士候6
- 東京都
- 明治7年4月3日 - 昭和8年6月6日
経歴
明治7年4月3日 | 生 |
明治28年2月1日 | 陸軍士官学校卒業(士候6) |
明治28年5月22日 | 任陸軍砲兵少尉 |
陸軍兵器本廠検査官 | |
大正5年5月2日 | 補大阪砲兵工廠名古屋兵器製造所長[1] |
大正6年8月6日 | 陸軍砲兵大佐 |
大正8年4月15日 | 補大阪砲兵工廠設計課長[2] |
大正10年7月20日 | 陸軍少将 |
大正11年8月15日 | 東京砲兵工廠設計課長 |
大正12年4月1日 | 陸軍造兵廠作業部長 |
大正13年8月20日 | 陸軍技術本部総務部長 |
大正15年3月2日 | 陸軍中将・陸軍造兵廠火工廠長 |
昭和3年3月8日 | 待命 |
昭和3年3月29日 | 予備役 |
昭和8年6月6日 | 死去 |
栄典
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲四等旭日小綬章 明治三十七八年従軍記章[3] |
大正9年9月10日 | 叙正五位[4] |
昭和3年4月28日 | 叙正四位(特旨)[5] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第1124号 大正5年5月3日(水曜日)
- 官報第2008号 大正8年4月16日(水曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に大正7年7月24日とあるのは誤り。
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に大正6年8月6日大阪砲兵工廠設計課長とあるのは誤り。
- ↑ 官報第7036号 明治39年12月11日(火曜日)
- ↑ 官報第2434号 大正9年9月11日(土曜日)
- ↑ 官報第412号 昭和3年5月15日(火曜日)