菊池主殿
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- きくち とのも
- 菊池主殿
- 陸軍大佐正五位勲三等功五級
- 歩兵
- 士官生徒2
- 埼玉県
- 安政5年1月27日 -
経歴
- 『明治三十七八年戦役殊勲者事績録』には「陸軍大学校に入り独逸参謀少佐メッケルに就て戦術を攻究し十八年十二月出でゝ」とあるが[1]、明治18年12月28日官報の陸軍大学校卒業者の一覧には名がない[2]。入校したが卒業はしなかったのか。
安政5年1月27日 | 生[1] |
明治8年 | 陸軍士官学校入校 |
明治12年2月1日 | 任陸軍少尉 |
明治16年2月28日 | 任陸軍歩兵中尉[3] |
明治20年9月9日 | 任陸軍歩兵大尉[3] |
明治29年11月5日 | 任陸軍歩兵少佐[3] |
第3師団参謀 | |
明治36年5月14日 | 補台湾守備歩兵第6大隊長[4] |
明治36年6月25日 | 任陸軍歩兵中佐[3] |
明治38年4月17日 | 歩兵第56聯隊長 |
明治38年6月3日 | 任陸軍歩兵大佐[5] |
明治40年2月13日 | 補歩兵第14聯隊長[6] |
明治42年11月30日 | 予備役[5] |
大正3年4月1日 | 後備役[7] |
栄典
明治29年11月25日 | 叙勲五等授瑞宝章[8] |
明治41年11月27日 | 大清帝国二等第二双龍宝星佩用允許[9] |
明治42年8月31日 | 大韓帝国勲二等八卦章佩用允許[10] |
明治43年2月21日 | 叙正五位(特旨)[11] |
明治43年4月5日 | 大韓帝国韓国皇帝南西巡幸紀念章佩用允許[12] |
明治43年8月28日 | 大韓帝国勲二等太極章佩用允許[13] |
大正1年8月1日 | 韓国併合記念章[14] |
出典
- ↑ 1.0 1.1 明治三十七八年戦役殊勲者事績録
- ↑ 官報第749号 明治18年12月28日(月曜日)
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治36年7月1日調
- ↑ 官報第5958号 明治36年5月15日(金曜日)
- ↑ 5.0 5.1 陸軍予備役後備役将校同相当官服役停年名簿. 明治45年7月1日調
- ↑ 官報第7085号 明治40年2月14日(木曜日)
- ↑ 官報第509号 大正3年4月13日(月曜日)
- ↑ 官報第4027号 明治29年11月30日(月曜日)
- ↑ 官報第7634号 明治41年12月5日(土曜日)
- ↑ 官報第7862号 明治42年9月7日(火曜日)
- ↑ 官報第7998号 明治43年2月23日(水曜日)
- ↑ 官報第8037号 明治43年4月11日(月曜日)
- ↑ 官報第8284号 明治44年2月4日(土曜日)
- ↑ 官報第248号 大正2年5月29日(木曜日)