藤井茂太
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- ふじい しげた
- 藤井茂太
- 陸軍中将従三位勲一等功二級
- 砲兵
- 士官生徒3 陸大1
- 兵庫県
- 万延1年9月21日 - 昭和20年1月14日
経歴
万延1年9月21日 | 生 |
明治12年12月22日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治16年4月12日 | 陸軍大学校入学 |
明治18年12月24日 | 陸軍大学校卒業(第1期) |
明治30年9月10日 | 墺国公使館附被仰付 |
明治30年10月11日 | 任陸軍砲兵大佐[1] |
明治33年8月2日 | 墺国公使館附被免[2] 墺国駐在員取締兼勤ヲ免ス 補陸軍大学校兵学教官[3][4] |
明治34年3月20日 | 補陸軍大学校教頭[5] |
明治34年10月2日 | 陸軍大学校幹事 |
明治35年5月5日 | 陸軍大学校長心得 |
明治35年6月21日 | 任陸軍少将[1]・陸軍大学校長 |
明治37年2月5日 | 第1軍参謀長 |
明治39年2月6日 | 陸軍砲工学校長 |
明治42年1月14日 | 東京湾要塞司令官 |
明治42年8月1日 | 任陸軍中将[1][6] |
明治43年11月30日 | 野砲兵監 |
大正2年8月22日 | 第12師団長 |
大正3年5月11日 | 待命 |
大正3年8月8日 | 予備役[6] |
大正12年4月1日 | 後備役[6] |
昭和2年4月1日 | 退役 |
昭和20年1月14日 | 薨去 |
栄典
勲章
明治17年8月30日 | 叙従七位 |
明治22年7月15日 | 叙正七位 |
勲六等瑞宝章 | |
明治28年9月20日 | 功四級金鵄勲章 授勲六等単光旭日章 |
明治28年11月15日 | 叙正六位 |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治29年11月25日 | 勲五等瑞宝章 |
明治30年10月30日 | 叙従五位 |
明治35年10月20日 | 叙正五位[7] |
明治36年5月16日 | 勲四等瑞宝章[8] |
明治38年5月30日 | 勲三等瑞宝章 |
明治39年4月1日 | 功二級金鵄勲章(年金1000円) 勲二等旭日重光章 明治三十七八年従軍記章[9] |
明治40年11月11日 | 叙従四位 |
大正1年12月28日 | 叙正四位 |
大正3年5月16日 | 勲一等瑞宝章 |
大正3年9月1日 | 叙従三位(特旨)[10] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[11] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[12] |
外国勲章
明治39年7月13日 | スウェーデン王国レペー勲章コマンドール |
明治45年時点 | オーストリア鉄冠第二等勲章 フランス共和国レジオンドヌール勲章コマンドゥール オーストリア一等フランツ・ヨーゼフ勲章 スペイン王国一等陸軍武功勲章 大韓帝国勲一等八卦章 プロイセン王国二等赤鷲勲章[1] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第105号 昭和2年5月9日(月曜日)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治45年7月1日調
- ↑ 官報第5126号 明治33年8月3日(金曜日)
- ↑ 官報第5127号 明治33年8月4日(土曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に明治34年1月14日に「陸大教官兼教頭」とあるのは誤り。
- ↑ 官報第5312号 明治34年3月22日(金曜日)
- ↑ 6.0 6.1 6.2 陸軍後備役将校同相当官服役停年名簿. 大正15年4月1日調
- ↑ 官報第5790号 明治35年10月21日(火曜日)
- ↑ 官報第5960号 明治36年5月18日(月曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月30日(日曜日)
- ↑ 官報第627号 大正3年9月2日(水曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)