藤竹信之
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- ふじたけ のぶゆき
- 藤竹信之
- 陸軍少将従四位勲三等功五級
- 砲兵
- 士候11 陸大23
- 熊本県
- 明治11年9月18日 -
経歴
明治11年9月18日 | 生 |
明治32年11月21日 | 陸軍士官学校卒業(士候11) |
明治33年6月22日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治35年11月15日 | 任陸軍砲兵中尉[1] |
明治37年11月20日 | 任陸軍砲兵大尉[1] |
明治41年12月25日 | 陸軍大学校入学 |
明治44年11月29日 | 陸軍大学校卒業(第23期) |
大正2年8月22日 | 任陸軍砲兵少佐[1] |
大正7年1月18日 | 任陸軍砲兵中佐[1] 補野砲兵第20聯隊附[2] |
大正8年1月15日 | 補陸軍運輸部釜山支部長[3] |
大正8年9月1日 | 陸軍運輸部本部附被仰付(臨時浦塩派出所長)[4] |
大正10年3月26日 | 補山砲兵第3聯隊長[5] |
大正10年7月20日 | 陸軍砲兵大佐[1] |
大正11年 | 独立山砲兵第3聯隊長(改称) |
大正12年8月6日 | 補野砲兵第2聯隊長[6] |
大正15年3月2日 | 陸軍少将・待命 |
大正15年3月22日 | 予備役[7] |
日本相互貯蓄銀行取締役兼監督 | |
昭和12年4月1日 | 後備役[8] |
栄典
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲五等双光旭日章 明治三十七八年従軍記章[9] |
明治42年11月30日 | 大清帝国三等第一双龍宝星佩用允許[10] |
明治43年2月21日 | 叙従六位[11] |
大正3年5月16日 | 勲四等瑞宝章[12] |
大正4年3月20日 | 叙正六位[13] |
大正9年4月10日 | 叙従五位[14] |
大正9年5月26日 | 勲三等瑞宝章[15] |
大正15年4月21日 | 叙従四位(特旨)[16] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[17] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正14年9月1日調
- ↑ 官報第1637号 大正7年1月19日(土曜日)
- ↑ 官報第1934号 大正8年1月16日(木曜日)
- ↑ 官報第2124号 大正8年9月2日(火曜日)
- ↑ 官報第2593号 大正10年3月28日(月曜日)
- ↑ 官報第3306号 大正12年8月7日(火曜日)
- ↑ 陸軍予備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和9年4月1日調
- ↑ 官報第3117号 昭和12年5月27日(木曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月5日(水曜日)
- ↑ 官報第7935号 明治42年12月4日(土曜日)
- ↑ 官報第7998号 明治43年2月23日(水曜日)
- ↑ 官報第539号 大正3年5月18日(月曜日)
- ↑ 官報第789号 大正4年3月23日(火曜日)
- ↑ 官報第2305号 大正9年4月12日(月曜日)
- ↑ 官報第2346号 大正9年5月29日(土曜日)
- ↑ 官報第4116号 大正15年5月15日(土曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)