西原爲五郎
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経歴
- ラングトン事件の責任者として待命となった。
明治3年8月 | 生[3] |
明治27年7月27日 | 陸軍士官学校卒業(士候5) |
明治27年9月17日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治30年12月28日 | 陸軍大学校入学 |
明治33年12月20日 | 陸軍大学校卒業(第14期) |
明治38年5月2日 | 任陸軍歩兵少佐[4] |
明治43年11月30日 | 任陸軍歩兵中佐[4] |
大正3年9月11日 | 任陸軍歩兵大佐[5]・歩兵第31聯隊長 |
大正5年12月19日 | 第16師団参謀長 |
大正6年8月6日 | 第5師団参謀長 |
大正7年9月9日 | 任陸軍少将[6]・歩兵第22旅団長 |
大正10年2月21日 | 待命 |
大正11年5月18日 | 依願予備役被仰付[7][8] |
昭和2年2月20日 | 死去[3] |
栄典
明治39年時点 | 従六位 勲五等瑞宝章[9] |
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章 勲四等旭日小綬章 明治三十七八年従軍記章[9] |
明治45年時点 | 正六位[4] |
大正3年時点 | 勲三等瑞宝章[10] |
大正6年時点 | 従五位[5] |
大正9年時点 | 正五位[6] |
大正9年11月1日 | 勲二等瑞宝章 賜金1200円 大正三年乃至九年戦役従軍記章 |
大正15年時点 | 従四位[8] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第2771号 大正10年10月26日(水曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に功四級とあるのは誤り。
- ↑ 明治45年停年名簿では「愛媛県士族」、大正3年停年名簿では「愛媛県平民」
- ↑ 3.0 3.1 西原 為五郎とは - コトバンク
- ↑ 4.0 4.1 4.2 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治45年7月1日調
- ↑ 5.0 5.1 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正6年9月1日調
- ↑ 6.0 6.1 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正9年9月1日調
- ↑ 官報第2937号 大正11年5月19日(金曜日)
- ↑ 8.0 8.1 陸軍予備役将校同相当官服役停年名簿. 大正15年4月1日調
- ↑ 9.0 9.1 官報号外 明治39年12月11日(火曜日)
- ↑ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正3年7月1日調