辻村楠造
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- つじむら くすぞう
- 辻村楠造
- 陸軍主計中将正四位勲二等功三級
- 経理部
- 高知県
- 文久2年1月6日 - 昭和27年12月28日
経歴
文久2年1月6日 | 生 |
明治11年 | 陸軍教導団歩兵大隊入隊 |
明治12年7月 | 陸軍教導団卒業 |
明治12年9月 | 陸軍軍曹 |
明治15年2月 | 陸軍曹長 |
明治18年5月30日 | 任陸軍歩兵少尉[1] |
明治21年11月16日 | 任陸軍歩兵中尉[1] |
明治26年11月21日 | 任陸軍監督補[1] |
明治28年11月21日 | 任陸軍三等監督[1] |
明治32年10月28日 | 任陸軍二等監督[1] |
明治33年5月20日 | 陸軍省経理局糧秣課長兼陸軍経理学校教官 |
明治34年4月15日 | 陸軍省経理局主計課長 |
明治35年11月15日 | 任陸軍一等監督[1] |
明治36年5月1日 | 陸軍経理学校長 |
明治36年12月1日 | 任陸軍一等主計正[1](階級呼称変更) |
明治37年7月25日 | 第10師団経理部長 |
明治38年1月14日 | 遼東守備軍経理部長 |
明治39年9月1日 | 関東都督府経理部長 |
明治40年9月17日 | 任陸軍主計監[1] |
明治41年4月17日 | 近衛師団経理部長 |
明治42年8月1日 | 陸軍省経理局長 |
大正2年3月4日 | 任陸軍主計総監[2] |
大正3年5月11日 | 待命 |
大正3年8月8日 | 予備役[2] |
大正14年4月1日 | 後備役[2] |
昭和12年2月25日 | 陸軍主計中将(階級呼称変更) |
戦友済生生命保険顧問 | |
日本繊維化工社長 | |
帝国在郷軍人会常務理事 | |
昭和27年12月28日 | 死去 |
栄典
明治45年時点 | 正五位 勲二等瑞宝章 勲三等旭日中綬章 功三級金鵄勲章 大清帝国二等第一双龍宝星 ロシア帝国聖スタニスラス第一等勲章[1] |
大正3年9月1日 | 正四位[2] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[3] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)