鈴木貞一
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- すずき ていいち
- 鈴木貞一
- 陸軍中将正三位勲二等
- 歩兵
- 士候22 陸大29
- 千葉県
- 明治21年12月16日 - 平成1年7月15日
経歴
明治21年12月16日 | 生 |
明治43年5月28日 | 陸軍士官学校卒業(士候22) |
明治43年12月26日 | 任陸軍歩兵少尉 |
大正3年12月12日 | 陸軍大学校入学 |
大正6年11月27日 | 陸軍大学校卒業(第29期) |
昭和5年3月6日 | 陸軍歩兵中佐 |
昭和6年8月1日 | 陸軍省軍務局軍事課支那班長 |
昭和8年8月1日 | 陸軍省新聞班長 |
昭和8年12月20日 | 陸軍歩兵大佐 |
昭和9年3月5日 | 陸軍大学校研究部主事 |
昭和10年5月25日 | 内閣調査局調査官 |
昭和11年8月1日 | 歩兵第14聯隊長 |
昭和12年11月1日 | 陸軍少将・第16師団司令部附(内閣調査官) |
昭和13年4月14日 | 第3軍参謀長 |
昭和13年12月16日 | 興亜院政務部長 |
昭和15年8月1日 | 陸軍中将 |
昭和15年12月23日 | 興亜院総務長官心得 |
昭和16年4月4日 | 予備役 任国務大臣兼企画院総裁(~昭和18年10月8日) |
昭和17年2月 | 大東亜建設審議会幹事長 |
昭和18年10月8日 | 依願免本官並兼官 特ニ前官ノ礼遇ヲ賜フ 貴族院議員(~昭和20年12月3日) |
昭和18年11月 | 内閣顧問(~昭和19年10月) |
昭和19年9月 | 大日本産業報国会会長(~昭和20年8月) |
昭和20年12月3日 | A級戦犯指定 |
昭和30年9月17日 | 仮釈放 |
昭和33年 | 赦免 |
平成1年7月15日 | 死去 |
栄典
明治44年3月10日 | 叙正八位 |
大正3年2月10日 | 叙従七位 |
大正8年3月20日 | 叙正七位 |
大正9年11月1日 | 勲五等双光旭日章 |
大正13年5月15日 | 叙従六位 |
昭和3年11月2日 | 勲四等瑞宝章 |
昭和4年7月1日 | 叙正六位 |
昭和9年2月1日 | 叙従五位 |
昭和9年2月7日 | 勲三等瑞宝章[1] |
昭和9年4月29日 | 旭日中綬章 |
昭和12年12月1日 | 叙正五位 |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章 |
昭和15年8月16日 | 勲二等瑞宝章 |
昭和15年12月2日 | 叙従四位 |
昭和16年4月15日 | 叙従三位 |
昭和18年5月1日 | 叙正三位 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)