長谷川鉄次郎
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- はせがわ てつじろう
- 長谷川鉄次郎
- 陸軍少将正四位勲二等功五級
- 砲兵
- 士候11
- 石川県
- 明治12年4月3日 - 昭和18年1月10日
経歴
明治12年4月3日 | 生 |
明治32年11月21日 | 陸軍士官学校卒業(士候11) |
明治33年6月22日 | 任陸軍砲兵少尉 |
東京砲兵工廠廠員 | |
大正6年8月6日 | 補東京砲兵工廠目黒火薬製造所長 |
大正10年7月20日 | 任陸軍砲兵中佐 補東京砲兵工廠庶務課長 |
大正12年4月1日 | 補陸軍造兵廠火工廠作業課長 |
大正12年8月6日 | 補陸軍造兵廠火工廠板橋火薬製造所長 |
大正13年12月15日 | 陸軍砲兵大佐 |
大正14年5月1日 | 陸軍造兵廠技術部長 |
大正14年7月7日 | 兼補陸軍造兵廠総務部長 |
大正15年3月2日 | 免兼職 |
昭和3年8月10日 | 補陸軍造兵廠作業部長 |
昭和5年8月1日 | 任陸軍少将 |
昭和6年8月1日 | 補陸軍造兵廠火工廠長[1] |
昭和8年3月18日 | 待命被仰付[2] |
昭和8年3月30日 | 予備役被仰付[2] |
昭和13年4月1日 | 後備役 |
昭和18年1月10日 | 死去 |
栄典
明治33年7月31日 | 叙正八位 |
明治36年2月20日 | 叙従七位 |
明治38年6月12日 | 叙正七位 |
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲五等双光旭日章 明治三十七八年従軍記章 |
明治43年7月11日 | 叙従六位 |
大正4年1月30日 | 勲四等瑞宝章 |
大正4年8月10日 | 叙正六位 |
大正4年11月7日 | 旭日小綬章 賜金400円 大正三四年従軍記章 |
大正9年9月10日 | 叙従五位[3] |
大正9年11月1日 | 賜金1450円 大正三年乃至九年戦役従軍記章 戦捷記章 |
大正11年1月31日 | 勲三等瑞宝章 |
大正14年10月1日 | 叙正五位 |
昭和5年10月15日 | 叙従四位 |
昭和8年4月28日 | 叙正四位(特旨)[4] |
昭和9年3月1日 | 満洲国建国功労章佩用允許 |
昭和9年4月29日 | 勲二等瑞宝章 昭和六年乃至九年事変従軍記章 |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[5] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍予備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和9年4月1日調
- 官報第5124号 明治33年8月1日(水曜日)
- 官報第5888号 明治36年2月21日(土曜日)
- 官報第6586号 明治38年6月15日(木曜日)
- 官報号外 明治39年12月7日(金曜日)
- 官報第8116号 明治43年7月12日(火曜日)
- 官報第908号 大正4年8月11日(水曜日)
- 官報第1189号 大正5年7月18日(火曜日)
- 官報第1505号 大正6年8月7日(火曜日)
- 官報第2679号 大正10年7月6日(水曜日)
- 官報第2692号 大正10年7月21日(木曜日)
- 官報第2848号 大正11年2月1日(水曜日)
- 官報第3020号 大正11年8月24日(木曜日)
- 官報第3200号 大正12年4月4日(水曜日)
- 官報第3306号 大正12年8月7日(火曜日)
- 官報. 1925年07月08日
- 官報第3985号 大正14年12月5日(土曜日)
- 官報第4054号 大正15年3月3日(水曜日)
- 官報第488号 昭和3年8月11日(土曜日)
- 官報第1078号 昭和5年8月2日(土曜日)
- 官報第1183号 昭和5年12月6日(土曜日)
- 官報第1378号 昭和6年8月3日(月曜日)
- 官報第1864号 昭和8年3月20日(月曜日)
- 官報第1873号 昭和8年3月31日(金曜日)
- 官報第2602号 昭和10年9月3日(火曜日)
- 官報第2822号 昭和11年6月1日(月曜日)
- 官報第3427号 昭和13年6月8日(水曜日)
- 官報第4867号 昭和18年4月6日(火曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に昭和5年8月1日とあるのは誤り。
- ↑ 2.0 2.1 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に昭和7年8月8日待命、昭和7年8月30日予備役とあるのは誤り。
- ↑ 官報第2434号 大正9年9月11日(土曜日)
- ↑ 官報第1899号 昭和8年5月4日(木曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)