阿部貞次郎
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- あべ ていじろう
- 阿部貞次郎
- 陸軍中将正四位勲二等功四級
- 工兵
- 士官生徒5 陸大5
- 新潟県
- 文久2年8月15日 - 大正11年1月6日
経歴
文久2年8月15日 | 生 |
明治15年12月25日 | 任陸軍工兵少尉 |
明治20年1月31日 | 陸軍大学校入学 |
明治22年12月9日 | 陸軍大学校卒業(第5期) |
明治35年5月14日 | 陸軍大学校幹事 |
明治35年12月19日 | 陸軍工兵大佐 |
明治37年3月6日 | 第2軍工兵部長 |
明治38年2月6日 | 第2師団参謀長 |
明治41年12月21日 | 任陸軍少将 補清国駐屯軍司令官[1][2] |
明治45年4月24日 | 対馬警備隊司令官 |
大正2年8月22日 | 由良要塞司令官 |
大正3年5月11日 | 任陸軍中将 補築城部本部長[3][4] |
大正5年8月18日 | 待命 |
大正6年1月17日 | 予備役 |
大正11年1月6日 | 卒去[5] |
栄典
明治19年11月27日 | 叙従七位 |
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章[6] |
明治25年1月12日 | 叙正七位 |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治29年2月22日 | 功五級金鵄勲章 勲六等瑞宝章[7] |
明治36年3月30日 | 叙従五位 |
明治39年4月1日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 勲三等旭日中綬章 明治三十七八年従軍記章 |
明治45年5月24日 | 勲二等瑞宝章 |
大正2年8月14日 | ロシア帝国聖スタニスラス第一等勲章佩用允許[8] |
大正3年時点 | 従四位 勲三等旭日中綬章 功四級金鵄勲章[9] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[10] |
大正6年1月10日 | フランス共和国レジオンドヌール勲章コマンドゥール佩用允許[11] |
大正6年2月10日 | 叙正四位(特旨)[12] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報号外 明治39年12月4日(火曜日)
- 官報第8679号 明治45年5月27日(月曜日)
- ↑ 官報第7648号 明治41年12月22日(火曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に明治41年11月21日とあるのは誤り。
- ↑ 官報第534号 大正3年5月12日(火曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に大正3年5月1日とあるのは誤り。
- ↑ 官報第2860号 大正11年2月16日(木曜日)
- ↑ 官報号外 明治22年12月29日(日曜日)
- ↑ 官報第3794号 明治29年2月25日(火曜日)
- ↑ 官報第316号 大正2年8月18日(月曜日)
- ↑ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正3年7月1日調
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 官報第1331号 大正6年1月12日(金曜日)
- ↑ 官報第1357号 大正6年2月12日(月曜日)