飯田左門
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- いいだ さもん
- 飯田左門
- 陸軍中将従四位勲三等功四級
- 歩兵
- 士官生徒6 陸大7
- 山口県
- 安政5年2月1日 - 大正13年11月23日
経歴
安政5年2月1日 | 生 |
明治16年12月25日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治21年11月27日 | 陸軍大学校入学 |
明治24年11月28日 | 陸軍大学校卒業(第7期) |
明治37年5月14日 | 留守第11師団参謀長 |
明治37年11月13日 | 留守近衛師団参謀長 |
明治38年5月2日 | 陸軍歩兵大佐 |
明治38年7月17日 | 第15師団参謀長 |
明治40年10月22日 | 補歩兵第70聯隊長[1] |
明治43年5月14日 | 陸軍少将・台湾第2守備隊司令官 |
明治45年4月24日 | 歩兵第25旅団長 |
大正3年8月8日 | 待命 |
大正3年11月1日 | 任陸軍中将 予備役被仰付[2][3] |
大正6年4月1日 | 後備役[4] |
大正13年11月23日 | 死去[5] |
栄典
明治17年2月9日 | 叙正八位[6] |
明治22年7月15日 | 叙従七位[7] |
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章[8] |
明治27年7月20日 | 叙正七位[9] |
明治28年10月31日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲六等瑞宝章[10] |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章[11] |
明治31年10月31日 | 叙従六位[12] |
明治32年3月31日 | 勲五等双光旭日章 賜金300円(台湾守備の戦功)[13] |
明治36年10月10日 | 叙正六位[14] |
明治38年6月12日 | 叙従五位[15] |
明治41年10月23日 | 大韓帝国勲二等八卦章佩用允許[16] |
明治43年7月11日 | 叙正五位[17] |
大正1年8月1日 | 韓国併合記念章[18] |
大正3年11月30日 | 叙従四位(特旨)[19] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[20] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 官報第7296号 明治40年10月23日(水曜日)
- ↑ 官報第676号 大正3年11月2日(月曜日)
- ↑ 大正12年後備役停年名簿に「大正3.1.1」とあるのは誤り。
- ↑ 陸軍後備役将校同相当官服役停年名簿. 大正15年4月1日調
- ↑ 官報第3782号 大正14年4月4日(土曜日)
- ↑ 官報第214号 明治17年3月19日(水曜日)
- ↑ 官報第1820号 明治22年7月24日(水曜日)
- ↑ 官報号外 明治22年12月29日(日曜日)
- ↑ 官報第3318号 明治27年7月21日(土曜日)
- ↑ 官報第3708号 明治28年11月6日(水曜日)
- ↑ 官報第3916号 明治29年7月18日(土曜日)
- ↑ 官報第4603号 明治31年11月1日(火曜日)
- ↑ 官報第4744号 明治32年4月28日(金曜日)
- ↑ 官報第6085号 明治36年10月12日(月曜日)
- ↑ 官報第6586号 明治38年6月15日(木曜日)
- ↑ 官報第7603号 明治41年10月28日(水曜日)
- ↑ 官報第8116号 明治43年7月12日(火曜日)
- ↑ 官報第248号 大正2年5月29日(木曜日)
- ↑ 官報第700号 大正3年12月1日(火曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)