高倉永則
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- たかくら ながつね
- 高倉永則
- 陸軍大佐正二位勲二等功四級子爵
- 歩兵
- 士官生徒10
- 京都府華族
- 元治1年4月11日 - 昭和22年7月18日
経歴
元治1年4月11日 | 生 |
明治21年7月28日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治37年3月10日 | 任陸軍歩兵少佐[1] |
明治41年4月17日 | 任陸軍歩兵中佐[2][1] 補歩兵第38聯隊附[2][3] |
大正1年9月28日 | 補歩兵第9聯隊附[3][4] |
大正2年8月22日 | 補京都聯隊区司令官[4] |
大正3年1月20日 | 任陸軍歩兵大佐[5] |
大正5年11月15日 | 待命被仰付[6] |
大正6年4月1日 | 予備役[7] |
大正9年1月17日 | 貴族院議員(子爵議員) |
大正9年4月1日 | 後備役[7] |
昭和22年7月18日 | 薨去 |
栄典
明治17年7月8日 | 授子爵[8] |
明治17年7月8日時点 | 従五位[8] |
明治22年6月26日 | 叙正五位(特旨) |
明治27年6月30日 | 叙従四位 |
明治36年5月16日 | 勲五等瑞宝章 |
明治45年時点 | 従三位[1] |
明治45年時点 | 勲四等旭日小綬章[1] |
明治45年時点 | 功四級金鵄勲章[1] |
大正3年時点 | 勲三等瑞宝章[5] |
大正4年11月7日 | 大正三四年従軍記章[9] |
大正12年時点 | 正三位[7] |
昭和3年11月10日 | 金杯一箇 |
昭和3年12月28日 | 銀杯一組[10] |
昭和4年4月15日 | 叙従二位[11] |
昭和7年8月16日 | 勲二等瑞宝章 |
昭和9年4月29日 | 旭日重光章[12] |
昭和15年5月1日 | 叙正二位[13] |
昭和15年11月10日 | 紀元二千六百年祝典記念章[14] |
出典
- 官報第1799号 明治22年6月29日(土曜日)
- 官報第3301号 明治27年7月2日(月曜日)
- 官報第5960号 明治36年5月18日(月曜日)
- 官報号外 昭和3年11月10日(土曜日)
- 官報第1690号 昭和7年8月17日(水曜日)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治45年7月1日調
- ↑ 2.0 2.1 官報第7440号 明治41年4月18日(土曜日)
- ↑ 3.0 3.1 官報第50号 大正1年9月30日(月曜日)
- ↑ 4.0 4.1 官報第321号 大正2年8月23日(土曜日)
- ↑ 5.0 5.1 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正3年7月1日調
- ↑ 官報第1288号 大正5年11月16日(木曜日)
- ↑ 7.0 7.1 7.2 陸軍後備役将校同相当官服役停年名簿. 大正12年4月1日調
- ↑ 8.0 8.1 官報第308号 明治17年7月9日(水曜日)
- ↑ 官報第1314号 大正5年12月18日(月曜日)
- ↑ 官報第602号 昭和3年12月29日(土曜日)
- ↑ 官報第726号 昭和4年6月3日(月曜日)
- ↑ 官報第2696号 昭和10年12月27日(金曜日)
- ↑ 官報第4045号 昭和15年7月2日(火曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)