高島信茂
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- たかしま のぶしげ
- 高島信茂
- 陸軍大佐正三位勲二等
- 歩兵
- 草創期
- 広島県士族
- 天保14年1月 - 明治32年7月11日
経歴
天保14年1月 | 生[1] |
明治4年 | 兵部省出仕[1] |
明治5年 | 陸軍少佐[2] |
明治8年 | 大阪鎮台参謀副長[2] |
明治10年 | 別慟第4旅団参謀[2] |
明治12年 | 陸軍中佐[2] |
明治12年2月7日 | 大阪鎮台参謀長 |
明治13年5月4日 | 陸軍士官学校次長 |
明治15年2月6日 | 任陸軍歩兵大佐[3] |
明治19年3月19日 | 補仙台鎮台参謀長[4] |
明治22年8月19日 | 予備役 学習院御用掛被仰付 年俸三千円下賜[5] |
明治24年2月27日 | 任主猟官 叙勅任官二等 年俸三千五百円下賜[6] |
明治25年7月2日 | 任学習院次長 叙三等賜一級俸[7][2] |
明治29年6月11日 | 任主猟官 叙二等[8] |
明治30年10月 | 貴族院議員[1] |
明治30年12月23日 | 依願免本官(主猟官) |
明治32年7月11日 | 薨去[9] |
栄典
明治5年 | 正七位[2] |
明治6年7月2日 | 叙従六位[10] |
明治11年1月31日 | 勲四等[2] |
明治13年 | 正六位[2] |
明治15年 | 従五位[2] |
明治18年4月7日 | 勲三等[2] |
明治24年2月28日 | 叙従四位[11] |
明治29年2月20日 | 叙正四位[12] |
明治30年12月17日 | 勲二等瑞宝章[13] |
明治30年12月23日 | 叙従三位(特旨)[14] |
明治32年7月10日 | 叙正三位(特旨)[15] |
明治32年7月11日 | 薨去[9] |
明治32年7月12日 | 貴族院より弔辞[9] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 議会制度七十年史 第1
- ↑ 2.00 2.01 2.02 2.03 2.04 2.05 2.06 2.07 2.08 2.09 2.10 国民過去帳 明治之巻
- ↑ 3.0 3.1 「職員録・明治十七年七月・陸軍将校並同等官実役停年名簿(国立公文書館)」Ref.A09054353200
- ↑ 4.0 4.1 官報第815号 明治19年3月24日(水曜日)
- ↑ 5.0 5.1 官報第1844号 明治22年2月21日(水曜日)
- ↑ 6.0 6.1 官報第2297号 明治24年2月28日(土曜日)
- ↑ 7.0 7.1 官報第2704号 明治25年7月4日(月曜日)
- ↑ 8.0 8.1 官報第3885号 明治29年6月21日(金曜日)
- ↑ 9.0 9.1 9.2 9.3 官報第4809号 明治32年7月13日(木曜日)
- ↑ 10.0 10.1 明治新史 6
- ↑ 11.0 11.1 官報第2299号 明治24年3月3日(火曜日)
- ↑ 12.0 12.1 官報第3791号 明治29年2月21日(金曜日)
- ↑ 13.0 13.1 官報第4341号 明治30年12月18日(土曜日)
- ↑ 14.0 14.1 官報第4347号 明治30年12月25日(土曜日)
- ↑ 15.0 15.1 官報第4808号 明治32年7月12日(水曜日)