鳴瀧紫磨
(鳴滝紫麿から転送)
- なるたき むらまろ
- 鳴瀧紫磨
- 陸軍中将正四位勲二等功四級
- 工兵
- 士候7 砲工高7 陸大18
- 三重県
- 明治7年9月 - 昭和10年10月8日
経歴
- 尾張藩士古屋景命の四男、鳴滝祖禅の養嗣子
明治7年9月 | 生 |
明治29年5月27日 | 陸軍士官学校卒業(士候7) |
明治30年1月25日 | 任陸軍工兵少尉 |
明治32年12月23日 | 陸軍砲工学校高等科卒業(第7期) |
明治34年10月 | 陸軍大学校入学 |
明治37年2月9日 | 陸軍大学校中退 |
明治39年3月20日 | 陸軍大学校復校 |
明治39年11月28日 | 陸軍大学校卒業(第18期) |
由良要塞参謀 | |
大正3年8月10日 | 補工兵第6大隊長[1] |
大正5年5月2日 | 補航空大隊長 |
大正5年8月18日 | 陸軍工兵大佐 |
大正7年7月24日 | 鉄道聯隊附 |
大正7年8月20日 | 兼陸軍技術審査部議員[2](~大正8年4月15日廃止) |
大正8年4月15日 | 鉄道第2聯隊長 |
大正9年8月10日 | 任陸軍少将 補広島湾要塞司令官兼芸予要塞司令官 |
大正10年7月20日 | 工兵監部附 |
大正14年5月1日 | 任陸軍中将[3]・陸軍運輸部長 |
大正15年3月2日 | 待命 |
大正15年3月22日 | 予備役[3] |
日本海員掖済会理事 | |
大日本少年団聯盟理事 | |
昭和10年10月8日 | 死去 |
栄典
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲五等双光旭日章 明治三十七八年従軍記章[4] |
勲三等瑞宝章 | |
大正9年9月10日 | 叙正五位[5] |
大正9年11月1日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 旭日中綬章 賜金1300円 大正三年乃至九年戦役従軍記章[6] 戦捷記章[7] |
大正15年時点 | 勲二等瑞宝章[3] |
大正15年4月21日 | 叙正四位(特旨)[8] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第1124号 大正5年5月3日(水曜日)
- 官報第2408号 大正9年8月11日(水曜日)
- 鳴滝紫磨とは - コトバンク
- 鳴滝 紫麿とは - コトバンク