黒澤準
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- くろさわ ひとし
- 黒澤 準
- 陸軍中将正四位勲二等功三級
- 歩兵
- 士候10 陸大19優等
- 宮城県
- 明治11年8月19日 - 昭和2年9月5日
経歴
明治11年8月19日 | 生 |
明治31年11月25日 | 陸軍士官学校卒業(士候10) |
明治32年6月27日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治35年8月9日 | 陸軍大学校入学 |
明治37年2月9日 | 陸軍大学校中退 |
明治39年3月20日 | 陸軍大学校復校 |
明治40年11月30日 | 陸軍大学校卒業(第19期優等) |
大正6年2月12日 | ハルピン特務機関長 |
大正7年9月9日 | 陸軍歩兵大佐 |
大正7年9月23日 | 関東軍兵站参謀長 |
大正8年2月20日 | チタ特務機関長 |
大正9年8月10日 | 参謀本部作戦課長 |
大正11年8月15日 | 陸軍省軍務局軍事課長 |
大正12年8月6日 | 陸軍少将・参謀本部第1部長 |
大正13年10月3日 | 兼補陸軍大学校兵学教官[1][2] |
大正14年5月1日 | 歩兵第37旅団長 |
大正15年7月28日 | 参謀本部総務部長 |
昭和2年1月19日 | 参謀本部附被仰付[3] |
昭和2年7月20日 | 依願休職被仰付[4] |
昭和2年9月3日 | 参謀本部附被仰付[5] |
昭和2年9月5日 | 卒去 任陸軍中将[6] |
栄典
明治35年2月20日 | 叙従七位[7] |
明治37年11月1日 | 叙正七位[8] |
明治39年4月1日 | 勲五等双光旭日章 賜金500円 明治三十七八年従軍記章[9] |
大正1年8月1日 | 韓国併合記念章[10] |
大正3年5月16日 | 勲四等瑞宝章[11] |
大正4年1月30日 | 叙正六位[12] |
大正4年11月7日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 旭日小綬章 大正三四年従軍記章[13] |
大正5年2月15日 | ロシア帝国聖スタニスラス第二等勲章佩用允許[14] |
大正7年10月10日 | 叙従五位[15] |
大正9年7月28日 | フランス共和国銀色星附クロワ・ド・ゲール勲章佩用允許[16] |
大正9年11月12日 | 中華民国三等文虎勲章佩用允許[17] |
大正10年8月20日 | 大英帝国三等聖マイケル・聖ジョージ勲章佩用允許[18] |
大正10年11月16日 | スペイン王国陸軍武功白色第三等勲章佩用允許[19] |
大正12年11月20日 | 叙正五位[20] |
大正15年2月10日 | 金杯一箇ヲ賜フ[21] |
大正15年時点 | 勲三等旭日中綬章 勲三等瑞宝章 功三級金鵄勲章[22] |
昭和2年9月5日 | 卒去 叙従四位[23] 叙正四位(特旨)[24][25] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 官報第3636号 大正13年10月4日(土曜日)
- ↑ 官報第3806号 大正14年5月2日(土曜日)
- ↑ 官報. 1927年01月20日
- ↑ 官報第168号 昭和2年7月21日(木曜日)
- ↑ 官報第207号 昭和2年9月5日(月曜日)
- ↑ 官報第208号 昭和2年9月6日(火曜日)
- ↑ 官報第5587号 明治35年2月21日(金曜日)
- ↑ 官報第6417号 明治37年11月18日(金曜日)
- ↑ 官報第7036号 明治39年12月11日(火曜日)
- ↑ 官報第248号 大正2年5月29日(木曜日)
- ↑ 官報第539号 大正3年5月18日(月曜日)
- ↑ 官報第748号 大正4年2月1日(月曜日)
- ↑ 官報第1068号 大正5年2月25日(金曜日)
- ↑ 官報第1062号 大正5年2月18日(金曜日)
- ↑ 官報第1858号 大正7年10月11日(金曜日)
- ↑ 官報第2400号 大正9年8月2日(月曜日)
- ↑ 官報第2489号 大正9年11月17日(水曜日)
- ↑ 官報第2720号 大正10年8月24日(水曜日)
- ↑ 官報第2970号 大正10年11月18日(金曜日)
- ↑ 官報第3378号 大正12年11月26日(月曜日)
- ↑ 官報第4038号 大正15年2月12日(金曜日)
- ↑ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正15年9月1日調
- ↑ 官報第209号 昭和2年9月7日(水曜日)
- ↑ 官報第210号 昭和2年9月8日(木曜日)
- ↑ 昭和2年9月7日時点で「勲二等」