齋藤德匡
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- さいとう のりまさ
- 齋藤德匡
- 陸軍少将従四位勲三等功五級
- 歩兵
- 士候8
- 東京都
- 明治7年12月18日 -
経歴
明治7年12月18日 | 生[1] |
明治29年11月26日 | 陸軍士官学校卒業(士候8) |
明治30年6月28日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治32年11月17日 | 任陸軍歩兵中尉[2] |
明治37年3月18日 | 任陸軍歩兵大尉[2] |
明治42年11月30日 | 任陸軍歩兵少佐[2] 補近衛歩兵第1聯隊附[3][4] |
明治45年2月14日 | 補近衛歩兵第1聯隊大隊長[4][5] |
大正1年9月28日 | 臨時朝鮮派遣歩兵第2聯隊大隊長被仰付[5][6] |
大正4年8月10日 | 補歩兵第53聯隊附[6] |
大正5年5月2日 | 任陸軍歩兵中佐[2] |
大正7年6月1日 | 補大津聯隊区司令官[7] |
大正9年1月30日 | 任陸軍歩兵大佐[2] |
大正10年6月28日 | 歩兵第9聯隊長 |
大正13年2月4日 | 任陸軍少将[1]・待命 |
大正13年2月26日 | 予備役[1] |
昭和8年4月1日 | 後備役[1] |
昭和12年4月1日 | 退役 |
栄典
明治30年10月15日 | 叙正八位[8] |
明治32年12月26日 | 叙従七位[9] |
明治37年5月17日 | 叙正七位[10] |
明治42年7月10日 | 叙従六位[11] |
明治42年12月25日 | 大清帝国三等第一双龍宝星佩用允許[12] |
大正3年5月16日 | 勲四等瑞宝章[13] |
大正3年7月31日 | 叙正六位[14] |
大正8年12月15日 | 大正三年乃至九年戦役従軍記章[15] |
大正10年7月1日 | 第一回国勢調査記念章 |
大正11年5月31日 | 勲三等瑞宝章[16] |
大正13年3月25日 | 叙従四位(特旨)[17] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[18] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第3089号 大正11年11月16日(木曜日)
- 官報第3098号 昭和12年5月5日(水曜日)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 陸軍後備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和9年4月1日調
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正9年9月1日調
- ↑ 官報第7932号 明治42年12月1日(水曜日)
- ↑ 4.0 4.1 官報第8594号 明治45年2月15日(木曜日)
- ↑ 5.0 5.1 官報第50号 大正1年9月30日(月曜日)
- ↑ 6.0 6.1 官報第908号 大正4年8月11日(水曜日)
- ↑ 官報第1749号 大正7年6月3日(月曜日)
- ↑ 官報第4289号 明治30年10月16日(土曜日)
- ↑ 官報第4948号 明治32年12月27日(水曜日)
- ↑ 官報第6267号 明治37年5月24日(火曜日)
- ↑ 官報第7813号 明治42年7月12日(月曜日)
- ↑ 官報第7954号 明治42年12月27日(月曜日)
- ↑ 官報第539号 大正3年5月18日(月曜日)
- ↑ 官報第601号 大正3年8月1日(土曜日)
- ↑ 官報第3130号 大正12年1月10日(水曜日)
- ↑ 官報第2948号 大正11年6月1日(木曜日)
- ↑ 官報第3489号 大正13年4月14日(月曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)