齋藤瀏
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- さいとう りゅう
- 齋藤 瀏
- 陸軍少将従四位勲二等功五級
- 歩兵
- 士候12 陸大21
- 長野県士族
- 明治12年4月16日 - 昭和28年7月5日
経歴
明治12年4月16日 | 生[1] |
明治32年12月1日 | 陸軍士官学校入校 |
明治33年11月21日 | 陸軍士官学校卒業(士候12) |
明治33年11月26日 | 見習士官ヲ命ス |
明治34年6月25日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治39年11月22日 | 陸軍大学校入学 |
明治42年12月3日 | 陸軍大学校卒業(第21期) |
教育総監部課員兼陸軍将校生徒試験常置委員主事[2] | |
大正3年2月3日 | 任陸軍歩兵少佐 参謀心得ヲ解ク |
大正4年4月21日 | 外国語学高等試験委員ヲ免ス 補歩兵第27聯隊大隊長[2][3] |
大正5年11月15日 | 補第7師団参謀[3][4] |
大正7年7月24日 | 任陸軍歩兵中佐[5] |
大正9年8月10日 | 補歩兵第51聯隊附[4][6] |
大正11年2月8日 | 補小倉聯隊区司令官[6] |
大正11年4月1日 | 任陸軍歩兵大佐[7] |
大正12年8月6日 | 歩兵第47聯隊長 |
大正13年12月15日 | 第7師団参謀長 |
昭和2年3月5日 | 任陸軍少将[8]・歩兵第11旅団長 |
昭和5年3月6日 | 待命 |
昭和5年3月25日 | 予備役[1] |
昭和12年1月18日 | 免官(二・二六事件) |
昭和28年7月5日 | 死去 |
栄典
明治34年10月10日 | 叙正八位[9] |
明治37年2月19日 | 叙従七位[10] |
明治38年8月11日 | 叙正七位[11] |
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲六等単光旭日章 明治三十七八年従軍記章[12] |
明治43年9月30日 | 叙従六位[13] |
大正4年10月30日 | 叙正六位[14] |
大正7年7月15日 | 中華民国五等文虎勲章佩用允許 |
大正9年11月30日 | 叙従五位[15] |
大正14年12月28日 | 叙正五位[16] |
昭和5年4月24日 | 叙従四位(特旨)[17] |
昭和9年4月29日 | 昭和六年乃至九年事変従軍記章[18] |
昭和12年1月18日 | 失位 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第1788号 大正7年7月18日(木曜日)
- ↑ 1.0 1.1 陸軍予備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和9年4月1日調
- ↑ 2.0 2.1 官報第814号 大正4年4月22日(木曜日)
- ↑ 3.0 3.1 官報第1288号 大正5年11月16日(木曜日)
- ↑ 4.0 4.1 官報第2408号 大正9年8月11日(水曜日)
- ↑ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正9年9月1日調
- ↑ 6.0 6.1 官報第2855号 大正11年2月9日(木曜日)
- ↑ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正12年9月1日調
- ↑ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和4年9月1日調
- ↑ 官報第5484号 明治34年10月11日(金曜日)
- ↑ 官報第6188号 明治37年2月20日(土曜日)
- ↑ 官報第6640号 明治38年8月17日(木曜日)
- ↑ 官報第7035号 明治39年12月10日(月曜日)
- ↑ 官報第8185号 明治43年10月1日(土曜日)
- ↑ 官報第976号 大正4年11月1日(月曜日)
- ↑ 官報第2500号 大正9年12月1日(水曜日)
- ↑ 官報第4046号 大正15年2月22日(月曜日)
- ↑ 官報第1000号 昭和5年5月3日(土曜日)
- ↑ 官報第2995号 昭和11年12月24日(木曜日)