三原辰次
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- みはら たつじ
- 三原辰次
- 陸軍中将正四位勲二等功三級
- 歩兵
- 士候3 陸大13優等
- 鹿児島県
- 慶応4年8月 - 昭和5年11月11日
経歴
慶応4年8月 | 生[1] |
明治25年7月23日 | 陸軍士官学校卒業(士候3) |
明治26年3月13日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治29年12月 | 陸軍大学校入学 |
明治32年12月21日 | 陸軍大学校卒業(第13期優等) |
明治43年11月30日 | 関東都督府陸軍部附被仰付 |
明治44年9月6日 | 陸軍歩兵大佐 |
大正1年9月2日 | 補歩兵第10聯隊長[2][3] |
大正3年8月10日 | 第15師団参謀長 |
大正5年8月18日 | 陸軍少将・歩兵第35旅団長 |
大正9年8月10日 | 任陸軍中将[4]・待命 |
大正9年12月1日 | 予備役[4] |
昭和5年11月11日 | 卒去[1] |
栄典
功四級金鵄勲章 | |
明治40年3月23日 | 大清帝国二等第三双龍宝星佩用允許 |
明治40年12月27日 | 叙正六位 |
明治44年10月20日 | 叙従五位 |
明治45年5月24日 | 勲三等瑞宝章 |
大正5年9月11日 | 叙正五位 |
大正9年1月30日 | 勲二等瑞宝章 |
大正9年2月8日 | フランス共和国金色エトアル附クロワ・ド・ゲール勲章佩用允許 |
大正9年8月10日 | 叙従四位[5] |
大正9年11月1日 | 功三級金鵄勲章 授旭日重光章(年金700円) 賜金1500円 大正三年乃至九年戦役従軍記章[6] 戦捷記章[7] |
大正9年12月28日 | 叙正四位(特旨)[8] |
大正11年8月29日 | チェコスロバキア共和国菩提樹一枝附戦争十字章佩用允許 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第7200号 明治40年7月1日(月曜日)
- 官報第7352号 明治40年12月28日(土曜日)
- 官報第8502号 明治44年10月21日(土曜日)
- 官報第8679号 明治45年5月27日(月曜日)
- 官報第1236号 大正5年9月12日(火曜日)
- 官報第2246号 大正9年1月31日(土曜日)
- 官報第2254号 大正9年2月10日(火曜日)
- 官報第3027号 大正11年9月2日(土曜日)
- 官報第1195号 昭和5年12月20日(土曜日)
- ↑ 1.0 1.1 三原 辰次とは - コトバンク
- ↑ 官報第30号 大正1年9月3日(火曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に大正1年9月20日とあるが誤り。
- ↑ 4.0 4.1 陸軍予備役将校同相当官服役停年名簿.大正12年4月1日調
- ↑ 官報第2409号 大正9年8月12日(木曜日)
- ↑ 官報第2612号 大正10年4月19日(火曜日)
- ↑ 官報第2903号 大正11年4月10日(月曜日)
- ↑ 官報第2524号 大正9年12月29日(水曜日)