中村覺
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- なかむら さとる
- 中村 覺
- 陸軍大将従二位勲一等功二級男爵
- 歩兵
- 草創期
- 滋賀県華族
- 安政1年2月20日 - 大正14年1月29日
経歴
安政1年2月20日 | 生 |
明治6年11月 | 陸軍教導団卒・陸軍伍長 |
明治7年2月 | 陸軍兵学寮入 |
明治7年10月 | 陸軍少尉試補 |
明治8年1月28日 | 任陸軍少尉 |
明治27年8月30日 | 大本営侍従武官 |
明治27年12月25日 | 陸軍歩兵大佐・東宮武官兼侍従武官 |
明治29年10月29日 | 侍従武官[1] |
明治30年4月8日 | 歩兵第46聯隊長 |
明治31年10月1日 | 東部都督部参謀長 |
明治32年9月8日 | 陸軍少将 |
明治33年4月25日 | 台湾総督府幕僚参謀長 |
明治35年3月10日 | 歩兵第2旅団長 |
明治37年11月26日 | 旅順で戦傷 |
明治38年4月1日 | 教育総監部参謀長 |
明治38年7月18日 | 任陸軍中将[2] |
明治39年2月5日 | 補教育総監部参謀長 兼陸軍将校生徒試験常置委員長(陸軍戸山学校長事務取扱兼勤如故)[3][4] |
明治39年6月11日 | 陸軍戸山学校長事務取扱兼勤被免[5] |
明治40年1月28日 | 第15師団長 |
明治41年12月29日 | 侍従武官長 |
大正2年8月22日 | 東京衛戍総督 |
大正3年9月15日 | 任関東都督[6] |
大正4年1月25日 | 陸軍大将 |
大正6年7月31日 | 軍事参議官 |
大正8年2月20日 | 後備役 |
大正13年4月1日 | 退役 |
大正14年1月29日 | 薨去 |
栄典
明治8年7月20日 | 叙正八位 |
明治11年8月28日 | 勲六等単光旭日章 |
明治13年1月31日 | 叙従七位 |
明治14年6月30日 | 叙正七位 |
明治18年4月7日 | 勲五等双光旭日章 |
明治19年7月8日 | 叙従六位 |
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章 |
明治25年3月28日 | 叙正六位 |
明治26年5月26日 | 勲四等瑞宝章 |
明治28年2月28日 | 叙従五位 |
明治28年10月18日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 授旭日小綬章 |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治32年11月14日 | 叙正五位 |
明治33年5月31日 | 勲三等瑞宝章 |
明治37年12月16日 | 叙従四位 |
明治38年5月30日 | 勲二等瑞宝章 |
明治39年4月1日 | 功二級金鵄勲章(年金1000円) 勲一等旭日大綬章 明治三十七八年従軍記章[7] |
明治40年3月11日 | 叙正四位 |
明治40年9月21日 | 男爵 |
明治43年4月30日 | 叙従三位 |
大正1年8月1日 | 韓国併合記念章[8] |
大正4年2月20日 | 叙正三位 |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[9] |
大正5年4月1日 | 金杯一組 大正三四年従軍記章[10] |
大正8年3月10日 | 叙従二位 |
大正9年11月1日 | 金杯一組 大正三年乃至九年戦役従軍記章[11] |
大正12年1月10日 | 七十歳ノ高齢ニ付御紋付銀盃並ニ酒肴料下賜[12] |
大正14年1月29日 | 授旭日桐花大綬章 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第1938号 明治22年12月12日(木曜日)
- 官報第3693号 明治28年10月19日(土曜日)
- 官報第4913号 明治32年11月15日(水曜日)
- 官報第3497号 大正13年4月23日(水曜日)
- 中村覚 - Wikipedia
- ↑ 官報第4003号 明治29年10月30日(金曜日)
- ↑ 官報第6615号 明治38年7月19日(水曜日)
- ↑ 官報第6780号 明治39年2月8日(木曜日)
- ↑ 戦時職務だったのを改めて補職だろうか?
- ↑ 官報第6885号 明治39年6月13日(水曜日)
- ↑ 官報第639号 大正3年9月16日(水曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月30日(日曜日)
- ↑ 官報第248号 大正2年5月29日(木曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 官報第1218号 大正5年8月21日(月曜日)
- ↑ 官報第2612号 大正10年4月19日(火曜日)
- ↑ 官報第3132号 大正12年1月12日(金曜日)