二宮治重
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- にのみや はるしげ
- 二宮治重
- 陸軍中将正三位勲一等功四級
- 歩兵
- 士候12 陸大22
- 岡山県
- 明治12年2月17日 - 昭和20年2月17日
経歴
明治12年2月17日 | 生 |
明治32年12月1日 | 陸軍士官学校入校 |
明治33年11月21日 | 陸軍士官学校卒業(士候12) |
明治33年11月26日 | 見習士官ヲ命ス |
明治34年6月25日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治40年12月10日 | 陸軍大学校入学 |
明治43年11月29日 | 陸軍大学校卒業(第22期) |
大正8年4月15日 | 陸軍大学校兵学教官 |
大正10年6月3日 | 参謀本部編制動員課長 |
大正10年6月28日 | 陸軍歩兵大佐 |
大正12年3月17日 | 近衛歩兵第3聯隊長 |
大正14年5月1日 | 陸軍少将・イギリス大使館附武官 |
昭和2年7月26日 | 歩兵第2旅団長 |
昭和3年8月10日 | 参謀本部附 |
昭和3年12月21日 | 参謀本部第2部長 |
昭和4年8月1日 | 参謀本部総務部長 |
昭和5年8月1日 | 陸軍中将 |
昭和5年12月22日 | 参謀次長 |
昭和7年1月9日 | 第5師団長 |
昭和9年3月5日 | 待命 |
昭和9年3月24日 | 予備役 |
昭和11年8月1日 | 鮮満拓殖株式会社設立委員 |
昭和11年9月9日 | 鮮満拓殖株式会社総裁 |
昭和11年9月14日 | 満鮮拓植股份有限公司理事長[1] |
昭和15年6月 | 満洲拓殖公社総裁 |
昭和19年7月22日 | 任文部大臣[2] |
昭和20年2月10日 | 依願免本官[3] |
昭和20年2月17日 | 薨去 |
栄典
明治34年10月10日 | 叙正八位 |
明治37年2月19日 | 叙従七位 |
明治38年8月11日 | 叙正七位 |
明治43年9月30日 | 叙従六位 |
大正4年10月30日 | 叙正六位 |
勲三等瑞宝章 功四級金鵄勲章 | |
大正9年9月7日 | 授旭日中綬章 賜金2650円 (対独平和条約締結並ニ大正四年乃至九年戦役ノ功)[4] 大正三年乃至九年戦役従軍記章[5] |
大正9年11月30日 | 叙従五位 |
昭和7年6月15日 | 叙正四位[6] |
昭和9年4月20日 | 叙従三位(特旨)[7] |
昭和9年4月29日 | 勲一等旭日大綬章 |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[8] |
昭和20年2月17日 | 薨去 叙正三位(特旨)[9] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第2500号 大正9年12月1日(水曜日)