井戸川辰三
ナビゲーションに移動
検索に移動
- いとがわ たつぞう
- 井戸川辰三
- 陸軍中将従三位勲二等功四級
- 歩兵
- 士候1
- 宮崎県
- 明治2年12月12日 - 昭和18年5月24日
経歴
明治2年12月12日 | 生 |
明治23年7月26日 | 陸軍士官学校卒業(士候1) |
明治24年3月26日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治37年12月14日 | 任陸軍歩兵少佐[1] |
明治42年6月5日 | 任陸軍歩兵中佐[2] |
明治45年7月20日 | 陸軍省副官兼陸軍大臣秘書官 |
大正2年8月31日 | 陸軍歩兵大佐・本郷聯隊区司令官 |
大正4年4月12日 | 歩兵第62聯隊長 |
大正5年4月1日 | 参謀本部附 |
大正6年8月6日 | 近衛歩兵第3聯隊長 |
大正7年7月24日 | 陸軍少将・歩兵第39旅団長 |
大正9年5月12日 | 近衛歩兵第2旅団長 |
大正10年6月28日 | 第1師団司令部附 |
大正11年8月15日 | 陸軍中将・由良要塞司令官 |
大正12年8月6日 | 第13師団長 |
大正14年5月1日 | 待命 |
大正14年5月25日 | 予備役 |
昭和7年4月1日 | 後備役 |
昭和11年4月1日 | 退役[3] |
昭和18年5月24日 | 薨去 |
栄典
明治25年2月3日 | 叙正八位 |
明治27年10月10日 | 叙従七位[4] |
明治28年12月20日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲六等瑞宝章[5] |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章[6] |
明治31年3月30日 | 叙正七位[7] |
明治34年12月28日 | 賜金100円 (明治三十三年清国事変の功)[8] |
明治35年5月10日 | 明治三十三年従軍記章[9] |
明治36年5月16日 | 勲五等瑞宝章[10] |
明治36年6月10日 | 叙従六位[11] |
明治36年7月21日 | 大清帝国三等第二双龍宝星佩用允許[12] |
明治38年4月22日 | 大清帝国三等第一双龍宝星佩用允許[13] |
明治39年4月1日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 勲四等旭日小綬章 明治三十七八年従軍記章[14] |
明治41年10月30日 | 叙正六位[15] |
大正2年10月20日 | 叙従五位[16] |
大正3年11月30日 | 勲三等瑞宝章[17] |
大正7年8月30日 | 叙正五位[18] |
大正9年11月1日 | 勲二等瑞宝章 賜金1200円 大正三年乃至九年戦役従軍記章[19] |
大正11年9月11日 | 叙従四位[20] |
大正13年12月1日 | 叙正四位[21] |
大正14年6月24日 | 叙従三位(特旨)[22] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[23] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 官報第6439号 明治37年12月15日(木曜日)
- ↑ 官報第7783号 明治42年6月7日(月曜日)
- ↑ 官報第2794号 昭和11年4月28日(火曜日)
- ↑ 官報第3388号 明治27年10月10日(木曜日)
- ↑ 官報第3749号 明治28年12月25日(水曜日)
- ↑ 官報第3957号 明治29年9月4日(金曜日)
- ↑ 官報第4421号 明治31年3月31日(木曜日)
- ↑ 官報第5613号 明治35年3月25日(火曜日)
- ↑ 官報第5820号 明治35年11月26日(水曜日)
- ↑ 官報第5960号 明治36年5月18日(月曜日)
- ↑ 官報第5981号 明治36年6月11日(木曜日)
- ↑ 官報第6084号 明治36年10月10日(土曜日)
- ↑ 官報第6542号 明治38年4月25日(火曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月7日(金曜日)
- ↑ 官報第7606号 明治41年10月31日(土曜日)
- ↑ 官報第369号 大正2年10月21日(火曜日)
- ↑ 官報第700号 大正3年12月1日(火曜日)
- ↑ 官報第1825号 大正7年9月2日(月曜日)
- ↑ 官報第2612号 大正10年4月19日(火曜日)
- ↑ 官報第3035号 大正11年9月12日(土曜日)
- ↑ 官報第3684号 大正13年12月2日(火曜日)
- ↑ 官報第3888号 大正14年8月8日(土曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)