京都第1陸軍病院
(京都陸軍病院から転送)
京都府紀伊郡深草村に伏見衛戍病院として開設。明治41年10月京都衛戍病院に改称。昭和11年11月10日京都陸軍病院に改称。昭和20年5月京都第1陸軍病院に改称。昭和20年12月厚生省に移管し国立京都病院に改称。
病院長
氏名 | 就任 | 退任 | 次職 | 備考 |
---|---|---|---|---|
(兼)伊藤百藏 二軍正 | 明治38年12月21日 | 明治39年6月26日 | 旭川衛戍病院長 | 歩兵第38聯隊附の兼勤 |
永末茂太郎 三軍正 | 明治39年6月26日 | |||
(兼)岡部重名 一軍医 | 明治41年9月21日 | 明治41年10月30日 | 免兼 | 歩兵第38聯隊附の兼勤 |
坂本武戊 二軍正 | 明治41年10月30日 | 明治43年11月2日 | 第8師団軍医部長 | |
馬杉篤彦 二軍正 | 明治43年11月30日 | 大正3年6月26日 | 第2師団軍医部長 | |
長野文治 二軍正 | 大正5年11月15日 | 大正7年6月1日 | 第3師団軍医部長 | |
一木儀一 二軍正 | 大正7年6月1日 | 大正10年7月20日 | 陸軍一等軍医正・第19師団軍医部長 | |
藤波 正 一軍正 | 大正13年12月15日 | 大正15年12月22日 | 陸軍軍医学校部員 | |
遠藤精虎 一軍正 | 大正15年12月22日 | 昭和4年8月1日 | 第16師団軍医部長 | |
法貴六郎 一軍正 | 昭和4年8月1日 | 昭和5年8月1日 | 第6師団軍医部長 | |
星野健太郎 一軍正 | 昭和5年8月1日 | 昭和6年8月1日 | 第16師団軍医部長 | |
山本順市 一軍正 | 昭和6年8月1日 | 昭和9年8月1日 | 第12師団軍医部長 | |
根岸喜代助 一軍正 | 昭和9年8月1日 | 昭和11年3月7日 | 第6師団軍医部長 | |
安藤快平 一軍正 | 昭和11年3月7日 | 昭和12年8月2日 | 第11師団軍医部長 |
附
氏名 | 就任 | 退任 | 次職 | 備考 |
---|---|---|---|---|
倉 學一 二軍正 | 昭和2年7月26日 | 昭和3年12月1日 | 第16師団軍医部部員 | |
吉野三郎 三軍正 | 昭和5年8月1日 | 昭和7年4月11日 | 陸軍二等軍医正・横須賀衛戍病院長 兼東京湾要塞司令部附 |
|
渡部律太 一軍医 | 昭和6年4月1日 | 昭和7年2月27日 | 依願予備役 | |
小西公三 軍少佐 | 昭和19年3月20日 | 陸軍軍医学校部員 | 昭和19年3月1日陸軍軍医中佐進級 | |
佐藤幹男 軍少佐 | 昭和19年3月20日 | 中支那防疫給水部部員 | ||
永山公平 軍少佐 | 昭和19年7月10日 | 陸軍軍医学校附 | ||
塩澤正俊 軍少佐 | 昭和20年4月3日 | 第153師団軍医部部員 | ||
出井勝重 軍中佐 | 昭和20年11月29日 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和2年9月1日調
- 官報第8234号 明治43年12月1日(木曜日)