今西甚五郎

提供:Shirakaba.link
ナビゲーションに移動 検索に移動
  • いまにし じんごろう
  • 今西甚五郎
  • 陸軍中将正四位勲三等功五級
  • 砲兵
  • 士候7 砲工高8
  • 長崎県
  • 明治4年10月14日 - 

経歴

明治4年10月14日 [1]
明治29年5月27日 陸軍士官学校卒業(士候7)
明治30年1月25日 陸軍砲兵少尉
明治33年12月26日 陸軍砲工学校高等科卒業(第8期)
大正2年1月15日 陸軍砲兵中佐
重砲兵監部部員兼陸軍技術審査部議員陸軍省御用掛
大正5年4月1日 重砲兵第1聯隊
大正6年8月6日 陸軍砲兵大佐
大正6年12月25日 陸軍砲工学校教官[2]
大正9年5月12日 野砲兵第6聯隊
大正10年5月4日 陸軍重砲兵射撃学校[3]
大正10年5月18日 陸軍技術会議議員被仰付
大正10年7月20日 陸軍少将
大正11年8月9日 陸軍重砲兵学校
大正12年8月6日 砲兵監部
大正15年3月2日 陸軍中将待命
大正15年3月22日 予備役
昭和9年4月1日 後備役[1]

栄典

明治39年4月1日 功五級金鵄勲章(年金300円)
勲五等双光旭日章
明治三十七八年従軍記章[4]
大正5年1月31日 従五位[5]
大正15年4月21日 正四位(特旨)[6]
昭和15年8月15日 紀元二千六百年祝典記念章[7]

出典

  1. 1.0 1.1 陸軍後備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和9年4月1日調
  2. 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』では陸軍砲工学校砲兵科長となっているが、大正6年12月26日官報・大正9年5月13日官報共に陸軍砲工学校教官。この頃は砲兵科長の職はなかった。
  3. 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に5月5日とあるのは誤り。
  4. 官報号外 明治39年12月11日(火曜日)
  5. 官報第1048号 大正5年2月1日(火曜日)
  6. 官報第4116号 大正15年5月15日(土曜日)
  7. 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)