伊地知幸介
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- いぢち こうすけ
- 伊地知幸介
- 陸軍中将正三位勲二等功二級男爵
- 砲兵
- 士官生徒2
- 鹿児島県
- 安政元年1月6日 - 大正6年1月23日
経歴
安政元年1月6日 | 生 |
明治8年 | 陸軍士官学校入校 |
明治12年2月1日 | 任陸軍少尉 |
明治27年6月5日 | 大本営参謀 |
明治27年9月24日 | 第2軍参謀副長 |
明治29年5月12日 | 参謀本部第1部長 |
明治30年10月11日 | 陸軍砲兵大佐 |
明治31年12月28日 | 英国公使館附 |
明治33年4月25日 | 陸軍少将 |
明治33年10月11日 | 参謀本部第1部長 |
明治35年5月5日 | 野戦砲兵監 |
明治36年1月22日 | 京城駐在武官 |
明治37年3月19日 | 野戦砲兵監 |
明治38年1月9日 | 旅順要塞司令官 |
明治39年4月16日 | 東京湾要塞司令官 |
明治39年7月6日 | 陸軍中将 |
明治41年12月21日 | 第11師団長 |
明治43年11月30日 | 待命 |
大正2年1月15日 | 予備役 |
大正6年1月23日 | 薨去 |
栄典
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章 |
明治24年12月28日 | 叙従六位 |
明治27年10月20日 | 叙正六位 |
明治28年5月23日 | 勲五等瑞宝章 |
明治28年9月20日 | 功四級金鵄勲章 授双光旭日章 |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治30年10月30日 | 叙従五位 |
明治32年7月4日 | 大清帝国三等第一双龍宝星佩用允許 |
明治33年7月10日 | 叙正五位 |
明治33年11月30日 | 勲四等瑞宝章[1] |
明治37年4月 | 大韓帝国勲二等太極章佩用允許 |
明治37年11月29日 | 勲三等瑞宝章 |
明治38年11月2日 | 叙従四位[2] |
明治39年4月1日 | 功二級金鵄勲章(年金1000円) 勲二等旭日重光章 明治三十七八年従軍記章[3] |
明治40年9月21日 | 男爵 |
明治42年2月1日 | 叙正四位 |
明治42年7月8日 | チリ共和国金製有功章佩用允許 |
大正2年1月30日 | 叙従三位 |
大正6年1月23日 | 叙正三位(特旨)[4] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第1938号 明治22年12月12日(木曜日)
- 官報第4810号 明治32年7月14日(金曜日)