佐々木到一
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- ささき とういち
- 佐々木到一
- 陸軍中将功三級
- 歩兵
- 士候18 陸大29
- 広島県
- 明治19年12月7日 - 昭和30年5月30日獄中死
経歴
明治19年12月7日 | 生 |
明治38年11月25日 | 陸軍士官学校卒業(士候18) |
明治39年6月26日 | 任陸軍歩兵少尉 |
大正3年12月12日 | 陸軍大学校入学 |
大正6年11月27日 | 陸軍大学校卒業(第29期) |
昭和5年8月1日 | 陸軍歩兵大佐・歩兵第18聯隊長 |
昭和7年2月23日 | 上海派遣軍参謀 |
昭和7年2月29日 | 免本職[1] |
昭和7年4月11日 | 留守第9師団参謀長 |
昭和7年8月8日 | 第9師団参謀長 |
昭和7年12月7日 | 満洲国軍政部顧問 |
昭和9年12月10日 | 満洲国軍政部最高顧問 |
昭和10年3月15日 | 陸軍少将 |
昭和12年8月2日 | 歩兵第30旅団長 |
昭和13年3月1日 | 陸軍中将・独立混成第3旅団長 |
昭和13年8月31日 | 支那駐屯憲兵隊司令官 |
昭和14年9月7日 | 第10師団長 |
昭和16年3月1日 | 参謀本部附 |
昭和16年4月28日 | 待命 |
昭和16年4月30日 | 予備役 |
昭和20年7月5日 | 補関東軍総司令部附[2] |
昭和20年7月16日 | 補第149師団長(親補)[3] |
昭和30年5月30日 | 撫順で死去 |
栄典
昭和9年12月1日 | 叙正五位[4] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第1548号 昭和7年3月1日(火曜日)
- 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)
- ↑ 歩兵第18聯隊長を免ぜられる
- ↑ 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第152号 昭和20年7月6日 陸軍異動通報 (防衛省防衛研究所)」Ref.C12120962400
- ↑ 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第158号 昭和20年7月16日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120963000
- ↑ 官報第2378号 昭和9年12月4日(火曜日)