佐夛武彦
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- さだ たけひこ
- 佐夛武彦
- 陸軍中将正四位勲二等
- 歩兵
- 士候3
- 鹿児島県士族
- 明治1年1月14日 - 昭和18年1月16日
経歴
- 鹿児島県士族佐夛直隆三男
- 弟愛彦は大阪医科大学学長
- 妻秀は新納珍夫妹
- 二男直大(海軍大佐)・三男直丸(関西ペイント社員)・四男直久
- 長女妙子は陸軍中将原田義和に、二女輝子は海軍大佐藤田正路に、三女俊子は陸軍中佐姫田虎之助に、四女和子は新日鉄専務有田通元に嫁す
明治1年1月14日 | 生[1] |
明治25年7月23日 | 陸軍士官学校卒業(士候3) |
明治26年3月13日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治28年2月8日 | 任陸軍歩兵中尉 |
明治32年1月19日 | 任陸軍歩兵大尉 |
明治37年7月10日 | 任陸軍歩兵少佐 |
明治43年1月1日 | 任陸軍歩兵中佐 |
歩兵第70聯隊附 | |
明治43年6月21日 | 補歩兵第45聯隊附 |
明治45年3月8日 | 補沖縄警備隊区司令官 |
大正4年2月15日 | 陸軍歩兵大佐・歩兵第13聯隊長 |
大正7年10月18日 | 陸軍少将・台湾第2守備隊司令官 |
大正10年4月1日 | 第2師団司令部附 |
大正12年8月6日 | 陸軍中将・待命 |
大正12年9月1日 | 予備役 |
昭和6年4月1日 | 後備役[1] |
昭和10年4月1日 | 退役 |
昭和18年1月16日 | 卒去 |
栄典
明治26年5月10日 | 叙正八位[2] |
明治28年9月20日 | 叙従七位[3] |
明治28年11月30日 | 勲六等単光旭日章 賜金200円[4] |
明治39年4月1日 | 勲四等旭日小綬章 賜金700円 明治三十七八年従軍記章[5] |
明治42年5月21日 | 叙正六位 |
大正2年11月28日 | 勲三等瑞宝章[6] |
大正3年6月30日 | 叙従五位 |
大正7年11月11日 | 叙正五位 |
大正12年8月6日 | 叙従四位[7] |
大正12年9月30日 | 勲二等瑞宝章[8] |
大正12年10月30日 | 叙正四位(特旨)[9] |
大正15年時点 | 勲四等旭日小綬章[10] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[11] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正3年7月1日調
- 官報第7770号 明治42年5月22日(土曜日)
- 官報第8099号 明治43年6月22日(水曜日)
- 官報第8614号 明治45年3月9日(土曜日)
- 官報第1883号 大正7年11月12日(火曜日)
- 官報第2515号 昭和10年5月24日(金曜日)
- ↑ 以下の位置に戻る: 1.0 1.1 陸軍後備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和6年4月1日調
- ↑ 官報第2957号 明治26年5月11日(木曜日)
- ↑ 官報第3671号 明治28年9月21日(土曜日)
- ↑ 官報第3743号 明治28年12月18日(水曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月6日(木曜日)
- ↑ 官報第402号 大正2年11月29日(土曜日)
- ↑ 官報第3307号 大正12年8月8日(水曜日)
- ↑ 官報第3354号 大正12年10月26日(金曜日)
- ↑ 官報第3358号 大正12年11月1日(木曜日)
- ↑ 陸軍予備役将校同相当官服役停年名簿. 大正15年4月1日調
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)