依田廣太郎
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- よだ こうたろう
- 依田廣太郎
- 陸軍中将正三位勲一等功三級
- 歩兵
- 士官生徒1
- 京都府
- 嘉永6年 - 大正5年5月20日
経歴
嘉永6年 | 生 |
明治4年 | 陸軍兵学寮入 |
明治8年2月 | 陸軍士官学校入 |
明治10年12月22日 | 任陸軍少尉 |
明治16年2月28日 | 任陸軍歩兵中尉[1] |
明治19年5月26日 | 任陸軍歩兵大尉[1] |
明治19年 | 仏国留学 |
明治25年1月9日 | 任陸軍歩兵少佐[1] 補陸軍士官学校教官[2] |
明治27年11月4日 | 監軍部参謀事務取扱兼勤被仰付[3] |
明治27年12月31日 | 兼補陸軍将校生徒試験常置委員[4] |
明治28年4月17日 | 任陸軍歩兵中佐[5][1] |
明治28年7月8日 | 監軍部参謀事務取扱兼勤被免[6] |
明治29年6月18日 | 兼補陸軍士官学校生徒隊長[7] |
明治29年9月25日 | 補歩兵第29聯隊長[8] |
明治31年10月1日 | 任陸軍歩兵大佐 補陸軍戸山学校長[9] |
明治32年3月22日 | 兼補砲兵会議議員[10] |
明治33年10月3日 | 補歩兵第47聯隊長[11][12] |
明治36年12月9日 | 任陸軍少将 補歩兵第4旅団長[13] |
明治40年7月5日 | 補歩兵第12旅団長[14] |
明治40年11月13日 | 補歩兵第1旅団長[15] |
明治43年11月30日 | 任陸軍中将 補第11師団長(親補)[16] |
大正3年8月8日 | 待命被仰付[17] |
大正4年7月28日 | 依願予備役被仰付[18] |
大正5年4月1日 | 後備役[19] |
大正5年5月20日 | 薨去[20] |
栄典
明治19年7月8日 | 叙正七位[21] |
明治20年11月18日 | フランス共和国レジオンドヌール勲章シュヴァリエ佩用允許[22] |
明治24年5月28日 | 勲六等瑞宝章[23] |
明治25年4月6日 | 叙従六位[24] |
明治28年9月20日 | 叙正六位[25] |
明治28年10月21日 | 勲五等双光旭日章 年金100円 (明治二十七八年戦役の功)[26] |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章[27] |
明治31年10月31日 | 叙従五位[28] |
明治34年11月30日 | 勲四等瑞宝章[29] |
明治36年12月11日 | 叙正五位[30] |
明治38年5月30日 | 勲三等瑞宝章[31] |
明治39年4月1日 | 功三級金鵄勲章(年金700円) 勲二等旭日重光章 明治三十七八年従軍記章[32] |
明治41年7月2日 | 大韓帝国韓国皇帝陛下即位礼式記念章佩用允許[33] |
明治42年2月1日 | 叙従四位[34] |
明治43年8月28日 | 大韓帝国一等八卦章佩用允許[35] |
明治44年3月31日 | 叙正四位[36] |
大正1年8月1日 | 韓国併合記念章[37] |
大正1年11月21日 | 勲一等瑞宝章[38] |
大正3年4月30日 | 叙従三位[39] |
大正4年8月20日 | 叙正三位(特旨)[40] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[41] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治36年7月1日調
- ↑ 官報第2556号 明治25年1月11日(月曜日)
- ↑ 官報第3407号 明治27年11月5日(月曜日)
- ↑ 官報第3454号 明治28年1月7日(月曜日)
- ↑ 官報第3539号 明治28年4月20日(土曜日)
- ↑ 官報第3608号 明治28年7月10日(水曜日)
- ↑ 官報第3895号 明治29年6月24日(水曜日)
- ↑ 官報第3976号 明治29年9月28日(月曜日)
- ↑ 官報第4579号 明治31年10月3日(月曜日)
- ↑ 官報第4714号 明治32年3月23日(木曜日)
- ↑ 官報第5179号 明治33年10月4日(木曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に10月12日とあるのは誤り。
- ↑ 官報第6133号 明治36年12月10日(木曜日)
- ↑ 官報第7205号 明治40年7月6日(土曜日)
- ↑ 官報第7315号 明治40年11月14日(木曜日)
- ↑ 官報第8234号 明治43年12月1日(木曜日)
- ↑ 官報第608号 大正3年8月10日(月曜日)
- ↑ 官報第898号 大正4年7月29日(木曜日)
- ↑ 官報第1113号 大正5年4月20日(木曜日)
- ↑ 官報第1145号 大正5年5月27日(土曜日)
- ↑ 官報第928号 明治19年8月4日(水曜日)
- ↑ 官報第1459号 明治21年5月14日(月曜日)
- ↑ 官報第2376号 明治24年6月3日(水曜日)
- ↑ 官報第2629号 明治25年4月7日(木曜日)
- ↑ 官報第3671号 明治28年9月21日(土曜日)
- ↑ 官報第3695号 明治28年10月22日(火曜日)
- ↑ 官報第4029号 明治29年12月2日(水曜日)
- ↑ 官報第4603号 明治31年11月1日(火曜日)
- ↑ 官報第5525号 明治34年12月2日(月曜日)
- ↑ 官報第6135号 明治36年12月12日(土曜日)
- ↑ 官報第6573号 明治38年5月31日(水曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月30日(日曜日)
- ↑ 官報第7517号 明治41年7月17日(金曜日)
- ↑ 官報第7678号 明治42年2月2日(火曜日)
- ↑ 官報第8231号 明治43年11月28日(月曜日)
- ↑ 官報第8330号 明治44年4月1日(土曜日)
- ↑ 官報第248号 大正2年5月29日(木曜日)
- ↑ 官報第101号 大正1年11月30日(土曜日)
- ↑ 官報第525号 大正3年5月1日(金曜日)
- ↑ 官報第917号 大正4年8月21日(土曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)