兒玉源太郎
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- こだま げんたろう
- 兒玉源太郎
- 陸軍大将正二位勲一等功一級伯爵
- 歩兵
- 山口県
- 嘉永5年閏2月25日 - 明治39年7月23日
経歴
嘉永5年閏2月25日 | 生 |
明治4年4月15日 | 任陸軍准少尉 |
明治4年8月6日 | 任陸軍少尉 |
明治4年9月21日 | 任陸軍中尉 |
明治5年7月25日 | 任陸軍大尉 |
明治7年8月28日 | 熊本鎮台参謀 |
明治7年10月19日 | 任陸軍少佐 |
明治11年12月27日 | 近衛参謀副長 |
明治13年4月13日 | 任陸軍歩兵中佐 |
明治13年5月7日 | 歩兵第2聯隊長兼佐倉営所司令官 |
明治16年2月6日 | 任陸軍歩兵大佐 |
明治18年5月26日 | 参謀本部管東局長 |
明治18年7月24日 | 参謀本部第1局長 |
明治19年9月30日 | 兼陸軍大学校幹事 |
明治20年6月3日 | 監軍部参謀長[1] |
明治20年10月25日 | 兼陸軍大学校長 |
明治22年5月7日 | 輜重兵監缺員中臨時同監職務取扱被仰付[2] |
明治22年8月24日 | 任陸軍少将 |
明治24年10月25日 | 欧洲出張 |
明治25年8月18日 | 帰朝 |
明治25年8月23日 | 任陸軍次官 補陸軍省軍務局長 |
明治26年4月12日 | 兼陸軍省法官部長 |
明治28年3月28日 | 大本営留守参謀長 |
明治28年8月20日 | 男爵 |
明治28年4月1日 | 兼補臨時陸軍検疫部長[3] |
明治29年5月20日 | 免兼陸軍省法官部長 |
明治29年10月14日 | 任陸軍中将 |
明治31年1月14日 | 第3師団長 |
明治31年2月26日 | 任台湾総督 |
明治33年12月23日 | 兼任陸軍大臣 |
明治35年3月27日 | 依願免兼官 |
明治36年7月15日 | 任内務大臣兼台湾総督 |
明治36年7月17日 | 兼任文部大臣 |
明治36年9月22日 | 免兼官(文部大臣) |
明治36年10月12日 | 免本官専任台湾総督 補参謀本部次長 |
明治37年6月6日 | 任陸軍大将 |
明治37年6月20日 | 満洲軍総参謀長 |
明治38年12月19日 | 参謀本部次長事務取扱被仰付 |
明治39年4月11日 | 補参謀総長(親補) 依願免本官(台湾総督) 参謀本部次長事務取扱被免 |
明治39年7月13日 | 兼南満洲鉄道設立委員長 |
明治39年7月23日 | 薨去 |
栄典
明治27年10月26日 | 叙正四位[4] |
明治39年4月1日 | 叙功一級授金鵄勲章 授旭日桐花大綬章 明治三十七八年従軍記章 |
明治39年4月11日 | 依勲功特陞授爵子爵 |
明治39年7月23日 | 薨去 叙正二位(特旨) |
明治40年10月2日 | 父源太郎の功により兒玉秀雄に伯爵に特陞 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治36年7月1日調
- 官報第2749号 明治25年8月25日(木曜日)
- 官報第3526号 明治28年4月5日(金曜日)
- 官報第4394号 明治31年2月28日(月曜日)
- 官報号外 明治33年12月23日(日曜日)
- 官報号外 明治35年3月27日(木曜日)
- 官報号外 明治36年7月15日(水曜日)
- 官報号外 明治36年7月17日(金曜日)
- 官報号外 明治36年9月22日(火曜日)
- 官報号外 明治36年10月12日(月曜日)
- 官報第6086号 明治36年10月13日(火曜日)
- 官報第6744号 明治38年12月21日(木曜日)
- 官報第6832号 明治39年4月12日(木曜日)
- 官報第6920号 明治39年7月24日(火曜日)
- 官報第6921号 明治39年7月25日(水曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』には明治22年11月2日にも監軍部参謀長とある。
- ↑ 官報第1756号 明治22年5月10日(金曜日)
- ↑ 陸軍次官への兼補
- ↑ 官報第3401号 明治27年10月27日(土曜日)