兒玉友雄
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- こだま ともお
- 兒玉友雄
- 陸軍中将従三位勲一等功五級
- 歩兵
- 士候14 陸大22
- 山口県
- 明治14年10月23日 - 昭和36年5月9日
経歴
明治14年10月23日 | 生 |
明治35年11月22日 | 陸軍士官学校卒業(士候14) |
明治36年6月26日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治40年12月10日 | 陸軍大学校入学 |
明治43年11月29日 | 陸軍大学校卒業(第22期) |
大正12年8月6日 | 陸軍歩兵大佐・歩兵第34聯隊長 |
大正14年5月1日 | 参謀本部外国戦史課長 |
昭和4年8月1日 | 陸軍少将・歩兵第2旅団長 |
昭和5年12月22日 | 朝鮮軍参謀長 |
昭和8年8月1日 | 陸軍中将・下関要塞司令官 |
昭和9年8月1日 | 第3独立守備隊司令官 |
昭和10年12月2日 | 第16師団長 |
昭和12年8月2日 | 西部防衛司令官 |
昭和13年7月15日 | 待命 |
昭和13年7月27日 | 予備役 |
昭和13年9月8日 | 台湾軍司令官 |
昭和14年12月1日 | 召集解除 |
昭和36年5月9日 | 薨去 |
栄典
明治36年10月20日 | 叙正八位 |
明治38年3月10日 | 叙従七位 |
昭和3年12月28日 | 叙正五位 |
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲六等単光旭日章 明治三十七八年従軍記章 |
明治43年2月21日 | 叙正七位 |
大正2年5月31日 | 勲五等瑞宝章 |
大正4年3月20日 | 叙従六位 |
大正9年4月10日 | 叙正六位 |
大正10年6月27日 | 勲三等瑞宝章 |
大正12年11月30日 | 叙従五位 |
昭和3年12月28日 | 叙正五位 |
昭和8年1月19日 | 勲二等瑞宝章 |
昭和8年9月1日 | 叙従四位[1] |
昭和9年3月1日 | 満洲国建国功労章佩用允許 |
昭和10年12月16日 | 叙正四位 |
昭和11年7月7日 | 勲一等瑞宝章 |
昭和11年7月10日 | 旭日大綬章 昭和六年乃至九年事変従軍記章 |
昭和13年8月24日 | 叙従三位(特旨)[2] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[3] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第6092号 明治36年10月21日(水曜日)
- 官報第6513号 明治38年3月20日(月曜日)
- 官報号外 明治39年12月4日(火曜日)
- 官報第7998号 明治43年2月23日(水曜日)
- 官報第251号 大正2年6月2日(月曜日)
- 官報第789号 大正4年3月23日(火曜日)
- 官報第2305号 大正9年4月12日(月曜日)
- 官報第2673号 大正10年6月29日(水曜日)
- 官報第3385号 大正12年12月4日(火曜日)
- 官報第624号 昭和4年1月30日(水曜日)
- 官報第1815号 昭和8年1月20日(金曜日)
- 官報第2692号 昭和10年12月21日(土曜日)
- 官報第2822号 昭和11年6月1日(月曜日)
- 官報第2854号 昭和11年7月8日(水曜日)
- 官報第3134号 昭和12年6月16日(水曜日)