兼松習吉
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- かねまつ しゅうきち
- 兼松習吉
- 陸軍少将従四位勲三等功五級
- 砲兵
- 士候7 砲工高7優等
- 滋賀県
- 明治7年3月17日 - 昭和11年11月24日
経歴
明治7年3月17日 | 生 |
明治29年5月27日 | 陸軍士官学校卒業(士候7) |
明治30年1月25日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治32年12月23日 | 陸軍砲工学校高等科卒業(第7期優等) |
明治38年8月29日 | 任陸軍砲兵少佐 |
明治45年頃 | 陸軍砲工学校教官 |
大正2年1月15日 | 任陸軍砲兵中佐 |
大正3年頃 | 兼陸軍大学校兵学教官 |
大正5年11月15日 | 任陸軍砲兵大佐 |
兼陸軍技術審査部議員 | |
大正6年12月14日 | 免兼陸軍大学校兵学教官 |
大正6年12月25日 | 重砲兵第1聯隊長 |
大正7年12月1日 | 野戦重砲兵第1聯隊長(改称) |
大正8年4月15日 | 砲兵監部部員 |
大正10年3月11日 | 任陸軍少将 教育総監部附被仰付 |
大正10年3月28日 | 教育総監部附被免 補野砲兵第2旅団長 |
大正11年8月11日 | 野戦重砲兵第3旅団長 |
大正12年8月6日 | 待命 |
大正12年9月1日 | 予備役 |
昭和8年4月1日 | 後備役 |
昭和11年11月24日 | 死去 |
栄典
大正12年10月30日 | 叙従四位(特旨)[1] |
大正15年時点 | 勲三等瑞宝章 勲五等双光旭日章 功五級金鵄勲章 オランダ王国四等オラニエ=ナッサウ勲章[2] |