内山小二郎
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- うちやま こじろう
- 内山小二郎
- 陸軍大将正二位勲一等功二級男爵
- 砲兵
- 士官生徒3 陸大4首席
- 鳥取県
- 安政6年10月20日 - 昭和20年2月14日
経歴
安政6年10月20日 | 生 |
明治12年12月22日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治19年1月19日 | 陸軍大学校入学 |
明治21年11月28日 | 陸軍大学校卒業(第4期首席) |
明治28年2月27日 | 第1師団参謀長心得 |
明治28年12月12日 | 露国公使館附 |
明治30年10月11日 | 陸軍砲兵大佐 |
明治30年12月10日 | 仏国公使館附 |
明治34年1月15日 | 野砲兵第15聯隊長 |
明治34年6月26日 | 陸軍少将・野砲兵第1旅団長 |
明治38年1月14日 | 鴨緑江軍参謀長 |
明治39年1月30日 | 野砲兵第1旅団長 |
明治39年2月8日 | 露国公使館附 |
明治40年11月13日 | 陸軍中将・由良要塞司令官 |
明治41年12月21日 | 東京湾要塞司令官 |
明治42年1月14日 | 第15師団長 |
大正1年11月27日 | 第12師団長 |
大正2年8月22日 | 侍従武官長 |
大正4年8月10日 | 陸軍大将 |
大正11年11月24日 | 待命 |
大正12年3月23日 | 予備役 |
大正14年4月1日 | 後備役 |
昭和4年4月1日 | 退役[1] |
昭和20年2月14日 | 薨去 |
栄典
明治13年5月31日 | 叙正八位 |
明治16年4月9日 | 叙従七位 |
明治19年11月27日 | 叙正七位[2] |
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章[3] |
明治24年12月28日 | 叙従六位 |
明治26年5月26日 | 勲六等瑞宝章 |
明治28年3月14日 | 叙正六位 |
明治28年9月20日 | 功四級金鵄勲章 授単光旭日章 |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治29年11月25日 | 勲五等瑞宝章[4] |
明治30年10月30日 | 叙従五位 |
明治34年9月30日 | 叙正五位 |
明治37年11月29日 | 勲三等瑞宝章 |
明治39年4月1日 | 功二級金鵄勲章(年金1000円) 勲二等旭日重光章 明治三十七八年従軍記章[5] |
明治39年10月20日 | 叙従四位 |
明治42年3月1日 | 叙正四位 |
明治45年3月20日 | 叙従三位 |
大正3年5月16日 | 勲一等瑞宝章 |
大正4年8月20日 | 叙正三位 |
大正4年11月7日 | 授旭日大綬章 大正三四年従軍記章 |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[6] |
大正9年8月30日 | 叙従二位[7] |
大正9年11月1日 | 賜金4600円 大正三年乃至九年戦役従軍記章[8] 戦捷記章[9] |
大正10年11月26日 | 男爵 |
大正12年4月20日 | 叙正二位(特旨)[10] |
昭和9年4月29日 | 昭和六年乃至九年事変従軍記章[11] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[12] |
昭和20年2月14日 | 薨去 授旭日桐花大綬章 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報. 1901年06月27日
- 官報第539号 大正3年5月18日(月曜日)
- ↑ 官報第697号 昭和4年4月30日(火曜日)
- ↑ 官報第1033号 明治19年12月8日(水曜日)
- ↑ 官報第1948号 明治22年12月24日(火曜日)
- ↑ 官報第4027号 明治29年11月30日(月曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月30日(日曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 官報第2425号 大正9年9月1日(水曜日)
- ↑ 官報第2612号 大正10年4月19日(火曜日)
- ↑ 官報第2903号 大正11年4月10日(月曜日)
- ↑ 官報第3215号 大正12年4月21日(土曜日)
- ↑ 官報第2995号 昭和11年12月24日(木曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)