別技嘉助
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- べつき かすけ
- 別技嘉助[1]
- 陸軍少将従四位勲三等功五級
- 工兵
- 士候13
- 鹿児島県
- 明治10年5月5日 - 昭和27年10月
経歴
- 長男に地理学者別技篤彦
明治10年5月5日 | 生 |
明治34年11月22日 | 陸軍士官学校卒業(士候13) |
明治35年6月23日 | 任陸軍工兵少尉 補工兵第7大隊附 |
大正11年8月15日 | 任陸軍工兵中佐 |
陸軍工兵学校教官 兼陸軍野戦砲兵学校研究部部員[2] | |
大正13年2月4日 | 補陸軍士官学校本科教官兼同校本科訓育部附[2] |
大正14年8月7日 | 任陸軍工兵大佐 陸軍士官学校附被仰付[3] |
大正14年12月2日 | 工兵第7大隊長 |
昭和3年8月10日 | 工兵第14大隊長 |
昭和5年8月1日 | 任陸軍少将・待命 |
昭和5年8月29日 | 予備役 |
昭和11年4月1日 | 後備役 |
昭和27年10月 | 死去 |
栄典
勲八等白色桐葉章 | |
明治35年11月7日 | 叙正八位 |
明治36年11月25日 | 勲七等瑞宝章 |
明治37年10月24日 | 叙従七位 |
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲五等双光旭日章 明治三十七八年従軍記章[4] |
明治41年3月20日 | 叙正七位 |
大正2年5月20日 | 叙従六位 |
大正4年4月24日 | 勲四等瑞宝章 |
大正4年11月7日 | 大正三四年従軍記章 |
大正7年7月10日 | 叙正六位 |
大正9年11月1日 | 賜金550円 大正三年乃至九年戦役従軍記章 |
大正11年10月27日 | 勲三等瑞宝章 |
大正12年11月30日 | 叙従五位 |
昭和3年12月28日 | 叙正五位 |
昭和5年9月26日 | 叙従四位(特旨) |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍予備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和9年4月1日調
- 官報第5805号 明治35年11月8日(土曜日)
- 官報第6401号 明治37年10月29日(土曜日)
- 官報第6123号 明治36年11月28日(土曜日)
- 官報第7418号 明治41年3月23日(月曜日)
- 官報第241号 大正2年5月21日(水曜日)
- 官報第822号 大正4年5月1日(土曜日)
- 官報第1311号 大正5年12月14日(木曜日)
- 官報第1782号 大正7年7月11日(木曜日)
- 官報第2613号 大正10年4月20日(水曜日)
- 官報第3074号 大正11年10月28日(土曜日)
- 官報第3385号 大正12年12月4日(火曜日)
- 官報第624号 昭和4年1月30日(水曜日)
- 官報第1138号 昭和5年10月13日(月曜日)
- 官報第2801号 昭和11年5月7日(木曜日)
- 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に”別枚”とあるのは誤り。
- ↑ 2.0 2.1 官報第3435号 大正13年2月7日(木曜日)
- ↑ 官報第3888号 大正14年8月8日(土曜日)
- ↑ 官報第7036号 明治39年12月11日(火曜日)