加藤鋠二
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- かとう しんじ
- 加藤鋠二
- 陸軍少将従四位勲三等功五級
- 工兵
- 士候13 砲工高13
- 広島県
- 明治13年2月25日 - 昭和33年9月28日
経歴
明治13年2月25日 | 生 |
明治34年11月22日 | 陸軍士官学校卒業(士候13) |
明治35年6月23日 | 任陸軍工兵少尉 |
明治40年12月18日 | 陸軍砲工学校高等科卒業(第13期) |
東京砲兵工廠廠員兼陸軍技術本部部員 | |
大正9年8月10日 | 任陸軍工兵中佐・陸軍技術本部附被仰付 |
大正12年10月15日 | 陸軍技術本部部員兼陸軍工兵学校教官 |
大正13年2月4日 | 任陸軍工兵大佐[1] |
大正15年時点 | 兼陸軍通信学校研究部部員 |
昭和4年8月1日 | 陸軍少将・陸軍科学研究所第1部長 |
昭和7年4月11日 | 待命 |
昭和7年4月28日 | 予備役 |
昭和14年4月1日 | 後備役[2] |
昭和33年9月28日 | 死去 |
栄典
明治35年11月7日 | 叙正八位 |
明治37年10月24日 | 叙従七位 |
明治41年3月20日 | 叙正七位 |
大正2年5月20日 | 叙従六位 |
大正2年5月31日 | 勲五等瑞宝章 |
大正7年7月10日 | 叙正六位 |
大正12年11月30日 | 叙従五位 |
昭和3年12月28日 | 叙正五位 |
昭和7年5月24日 | 叙従四位(特旨) |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[3] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正15年9月1日調
- 陸軍予備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和9年4月1日調
- 官報第5805号 明治35年11月8日(土曜日)
- 官報第6401号 明治37年10月29日(土曜日)
- 官報第7418号 明治41年3月23日(月曜日)
- 官報第241号 大正2年5月21日(水曜日)
- 官報第251号 大正2年6月2日(月曜日)
- 官報第1782号 大正7年7月11日(木曜日)
- 官報第2408号 大正9年8月11日(水曜日)
- 官報第3385号 大正12年12月4日(火曜日)
- 官報第624号 昭和4年1月30日(水曜日)
- 官報第1624号 昭和7年6月1日(水曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に記載のある大正13年2月4日陸軍技術本部部員の発令は2月6日、2月7日の官報では見つけられなかった。
- ↑ 官報第3720号 昭和14年6月2日(金曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)