助川靜二
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- すけがわ せいじ
- 助川靜二
- 陸軍少将従四位勲二等功四級
- 歩兵
- 士候19
- 北海道
- 明治18年10月10日 - 昭和49年9月10日
経歴
- 旧姓「水原」
明治18年10月10日 | 生 |
明治40年5月31日 | 陸軍士官学校卒業(士候19) |
明治40年12月26日 | 任陸軍歩兵少尉 |
大正6年2月24日 | 「助川」ト改姓 |
大正13年8月20日 | 任陸軍歩兵少佐 |
大正14年3月18日 | 第20師団副官 |
昭和5年3月6日 | 任陸軍歩兵中佐・歩兵第27聯隊附 |
昭和7年3月11日 | 第7師団副官 |
昭和10年1月22日 | 補台湾軍副官(高級副官) |
昭和10年3月15日 | 任陸軍歩兵大佐 |
昭和12年3月1日 | 歩兵第38聯隊長 |
昭和13年7月15日 | 陸軍少将・留守第16師団司令部附 |
昭和14年3月9日 | 待命 |
昭和14年3月20日 | 予備役被仰付 |
昭和17年3月16日 | 任陸軍司政長官 叙高等官二等[1] |
昭和19年8月22日 | 補神戸聯隊区司令官 |
昭和20年3月31日 | 補釧路聯隊区司令官兼釧路地区司令官 |
昭和49年9月10日 | 死去 |
栄典
明治41年3月20日 | 叙正八位 |
明治44年2月10日 | 叙従七位 |
大正5年4月21日 | 叙正七位 |
大正10年6月30日 | 叙従六位 |
大正15年8月2日 | 叙正六位 |
昭和6年9月15日 | 叙従五位 |
昭和11年10月15日 | 叙正五位 |
昭和14年4月19日 | 叙従四位(特旨) |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[2] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和4年9月1日調
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和6年9月1日調
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和9年9月1日調
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和10年9月1日調
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第173号 昭和19年8月24日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120918200
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第74号 昭和20年3月31日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120937900
- 官報第7418号 明治41年3月23日(月曜日)
- 官報第8290号 明治44年2月13日(月曜日)
- 官報第1115号 大正5年4月22日(土曜日)
- 官報第1378号 大正6年3月8日(木曜日)
- 官報第2675号 大正10年7月1日(金曜日)
- 官報第4197号 大正15年8月19日(木曜日)
- 官報第1434号 昭和6年10月8日(木曜日)
- 官報. 1935年01月23日
- 官報第2946号 昭和11年10月26日(月曜日)
- 官報第3661号 昭和14年3月22日(水曜日)
- 官報第3687号 昭和14年4月22日(土曜日)