古海嚴潮
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- ふるみ いずしお
- 古海嚴潮
- 陸軍中将従三位勲二等功三級
- 歩兵
- 士官生徒9 陸大10優等
- 愛媛県
- 慶応1年9月11日 - 昭和13年8月7日
経歴
慶応1年9月11日 | 生 |
明治20年7月21日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治24年11月 | 陸軍大学校入学 |
明治27年7月24日 | 陸軍大学校中退 |
明治29年2月29日 | 陸軍大学校復校 |
明治29年3月11日 | 陸軍大学校卒業(第10期優等) |
明治35年4月1日 | 任陸軍歩兵少佐[1] |
明治38年3月1日 | 任陸軍歩兵中佐[1] |
明治40年7月30日 | 第5師団参謀長 |
明治40年11月13日 | 任陸軍歩兵大佐[1] |
明治42年11月30日 | 第18師団参謀長 |
明治45年4月1日 | 任陸軍少将[1]・歩兵第36旅団長 |
大正3年4月17日 | 朝鮮駐箚軍参謀長 |
大正5年4月1日 | 朝鮮駐箚憲兵隊司令官 |
大正5年8月18日 | 任陸軍中将[2] |
大正7年7月24日 | 第17師団長 |
大正10年7月20日 | 依願予備役被仰付[3][2] |
昭和3年4月1日 | 後備役[2] |
昭和13年8月7日 | 死去 |
栄典
明治23年10月15日 | 叙正八位 |
明治25年1月27日 | 叙従七位 |
明治30年2月10日 | 叙正七位 |
明治32年7月4日 | 大清帝国三等第三双龍宝星佩用允許 |
明治35年4月11日 | 叙従六位 |
明治35年11月29日 | 勲五等瑞宝章 |
明治38年4月7日 | 叙正六位 |
明治40年12月27日 | 叙従五位 |
明治45年時点 | 正五位 勲三等旭日中綬章 勲四等瑞宝章 功三級金鵄勲章 ロシア帝国聖スタニスラス第二等勲章[1] |
大正5年9月11日 | 叙従四位 |
大正7年10月10日 | 叙正四位 |
大正9年時点 | 勲二等瑞宝章[4] |
大正9年11月1日 | 賜金800円 大正三年乃至九年戦役従軍記章[5] |
大正10年7月1日 | 第一回国勢調査記念章[6] |
大正10年8月19日 | 叙従三位(特旨)[7] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第4810号 明治32年7月14日(金曜日)