吉本貞一
ナビゲーションに移動
検索に移動
- よしもと ていいち
- 吉本貞一
- 陸軍大将従三位勲一等功二級
- 歩兵
- 士候20 陸大28優等
- 徳島県
- 明治20年3月23日 - 昭和20年9月14日自決
経歴
明治20年3月23日 | 生 |
明治39年12月1日 | 陸軍士官学校入校 |
明治41年5月27日 | 陸軍士官学校卒業(士候20) |
明治41年12月25日 | 任陸軍歩兵少尉 |
大正2年12月13日 | 陸軍大学校入学 |
大正5年11月25日 | 陸軍大学校卒業(第28期優等) |
昭和3年3月8日 | 陸軍省軍務局軍事課高級課員 |
昭和6年8月1日 | 陸軍歩兵大佐・参謀本部庶務課長 |
昭和8年12月20日 | 歩兵第68聯隊長 |
昭和11年3月7日 | 陸軍少将・歩兵第21旅団長 |
昭和12年8月2日 | 東部防衛参謀長 |
昭和13年6月20日 | 第11軍参謀長 |
昭和14年1月31日 | 中支那派遣軍参謀長 |
昭和14年3月9日 | 陸軍中将 |
昭和14年10月14日 | 参謀本部附 |
昭和14年11月6日 | 第2師団長 |
昭和16年4月10日 | 関東軍参謀長 |
昭和17年8月1日 | 第1軍司令官 |
昭和19年11月22日 | 補参謀本部附 |
昭和20年2月1日 | 補第11方面軍司令官兼東北軍管区司令官(親補) |
昭和20年5月5日 | 任陸軍大将[1][2] |
昭和20年6月22日 | 補第1総軍司令部附 |
昭和20年9月14日 | 自決 |
栄典
明治45年3月1日 | 叙従七位 |
昭和9年2月7日 | 勲三等瑞宝章[3] |
昭和13年8月13日 | 勲二等瑞宝章[4] |
昭和15年4月29日 | 功二級金鵄勲章 勲一等旭日大綬章 |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章 |
昭和17年9月1日 | 叙正四位 |
昭和20年5月17日 | 叙従三位 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第243号 昭和19年11月24日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120925900
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第24号 昭和20年2月1日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120932700
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第103号 昭和20年5月5日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120941400
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第143号 昭和20年6月23日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120946400
- 官報第8608号 明治45年3月2日(土曜日)
- 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)
- ↑ この時正四位勲一等功二級
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に5月7日とあるのは誤り。
- ↑ 官報第2130号 昭和9年2月9日(金曜日)
- ↑ 官報第3487号 昭和13年8月17日(水曜日)