吉積正雄
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- よしずみ まさお
- 吉積正雄
- 陸軍中将
- 航空兵
- 士候26 陸大35
- 広島県
- 明治26年1月1日 - 昭和60年7月21日
経歴
明治26年1月1日 | 生[1] |
大正3年5月28日 | 陸軍士官学校卒業(士候26) |
大正3年12月25日 | 任陸軍歩兵少尉 |
大正9年12月7日 | 陸軍大学校入学 |
大正12年8月6日 | 任陸軍歩兵大尉 |
大正12年11月29日 | 陸軍大学校卒業(第35期) |
昭和4年4月 | 陸軍派遣学生(東京帝国大学法学部)(~昭和7年3月) |
昭和4年8月1日 | 任陸軍歩兵少佐 |
昭和7年4月11日 | 参謀本部部員 |
昭和8年8月1日 | 任陸軍歩兵中佐 補陸軍技術本部附謙陸軍省軍務局課員[2] |
昭和9年8月1日 | 参謀本部部員 |
昭和11年8月1日 | 歩兵第12聯隊附 |
昭和12年7月19日 | 参謀本部附 |
昭和12年8月2日 | 任陸軍歩兵大佐[3] |
昭和12年8月6日 | 任陸軍航空兵大佐[4](転科) |
昭和13年3月1日 | 関東軍司令部附 |
昭和13年7月29日 | 第4軍高級参謀 |
昭和14年12月1日 | 第4軍参謀長 |
昭和15年3月9日 | 陸軍少将 |
昭和15年9月9日 | 参謀本部附 |
昭和15年12月6日 | 任情報局情報官 叙高等官二等 賜年俸5000円 情報局第2部長ヲ命ス[5] |
昭和17年4月24日 | 陸軍省整備局長 |
昭和18年6月10日 | 陸軍中将 |
昭和20年3月27日 | 補陸軍省軍務局長兼陸軍省整備局長 軍事参議院幹事長 補大本営陸軍大臣随員[6] |
昭和20年4月23日 | 免大本営陸軍大臣随員 補大本営陸軍参謀兼大本営陸軍大臣随員(原職如故)[7] |
昭和60年7月21日 | 死去 |
栄典
昭和15年11月10日 | 紀元二千六百年祝典記念章[8] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 : 索引付. 昭和8年9月1日調
- ↑ 官報第1976号 昭和8年8月2日(水曜日)
- ↑ 官報第3175号 昭和12年8月3日(火曜日)
- ↑ 官報第3179号 昭和12年8月7日(土曜日)
- ↑ 官報第4177号 昭和15年12月7日(土曜日)
- ↑ 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第72号 昭和20年3月28日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120937700
- ↑ 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第93号 昭和20年4月26日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120940300
- ↑ 官報第4456号 昭和16年11月14日(金曜日)