國崎登
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- くにさき のぼる
- 國崎 登
- 陸軍中将功二級
- 歩兵
- 士候19 陸大32
- 広島県
- 明治19年8月2日 - 昭和35年11月27日
経歴
明治19年8月2日 | 生 |
明治40年5月31日 | 陸軍士官学校卒業(士候19) |
明治40年12月26日 | 任陸軍歩兵少尉 |
大正6年12月10日 | 陸軍大学校入学 |
大正9年11月22日 | 陸軍大学校卒業(第32期) |
大正12年3月17日 | 任陸軍歩兵少佐 |
昭和2年7月26日 | 任陸軍歩兵中佐・近衛歩兵第2聯隊附(中央大学服務) |
昭和5年8月1日 | 近衛師団司令部附(中央大学服務) |
昭和6年8月1日 | 近衛歩兵第4聯隊附 |
昭和7年2月29日 | 盛岡聯隊区司令官 |
昭和7年4月11日 | 任陸軍歩兵大佐 |
昭和9年3月5日 | 歩兵第42聯隊長 |
昭和10年3月15日 | 第9師団参謀長 |
昭和11年8月1日 | 陸軍少将・歩兵第9旅団長 |
昭和13年7月15日 | 陸軍歩兵学校長 |
昭和14年3月9日 | 陸軍中将 |
昭和14年8月1日 | 第7師団長 |
昭和16年11月6日 | 予備役 |
昭和19年7月8日 | 補留守第7師団長 |
昭和20年4月1日 | 補旭川師管区司令官(親補) |
昭和35年11月27日 | 死去 |
栄典
大正10年6月30日 | 叙従六位[1] |
大正15年8月2日 | 叙正六位 |
昭和6年9月15日 | 叙従五位 |
昭和11年10月1日 | 叙正五位[2] |
勲三等瑞宝章 | |
昭和12年7月7日 | 旭日中綬章[3] |
昭和14年8月15日 | 叙従四位[4] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[5] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和4年9月1日調
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和5年9月1日調
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和6年9月1日調
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和10年9月1日調
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第133号 昭和19年7月10日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120914100
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第75号 昭和20年4月1日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120938500
- 官報第4197号 大正15年8月19日(木曜日)
- 官報第1434号 昭和6年10月8日(木曜日)