坂本政右衞門
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- さかもと まさえもん
- 坂本政右衞門
- 陸軍中将従三位勲一等功三級
- 歩兵
- 士候11 陸大23
- 高知県
- 明治12年1月20日 - 昭和17年2月27日
経歴
明治12年1月20日 | 生[1] |
明治32年11月21日 | 陸軍士官学校卒業(士候11) |
明治33年6月22日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治41年12月25日 | 陸軍大学校入学 |
明治44年11月29日 | 陸軍大学校卒業(第23期) |
大正9年8月31日 | 陸軍兵器本廠附被仰付 |
大正10年4月1日 | 任陸軍歩兵大佐 |
大正10年7月20日 | 補歩兵第55聯隊長 |
大正11年8月15日 | 第8師団参謀長 |
大正12年8月6日 | 教育総監部第1課長 |
大正14年5月1日 | 陸軍少将・第3師団司令部附 |
大正15年3月2日 | 歩兵第5旅団長 |
昭和2年7月26日 | 陸軍歩兵学校附 |
昭和3年8月10日 | 陸軍歩兵学校教育部長 |
昭和4年8月1日 | 陸軍士官学校長 |
昭和5年8月1日 | 任陸軍中将[1] |
昭和6年8月1日 | 第6師団長 |
昭和7年12月6日 | 満洲派遣 |
昭和8年10月17日 | 帰還 |
昭和9年3月5日 | 待命 |
昭和9年3月24日 | 予備役[1] |
昭和17年2月27日 | 薨去 |
栄典
明治36年2月20日 | 叙従七位 |
明治38年2月18日 | 叙正七位[2] |
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲五等双光旭日章 明治三十七八年従軍記章 |
明治43年3月30日 | 叙従六位 |
大正3年5月16日 | 勲四等瑞宝章 |
大正4年4月20日 | 叙正六位 |
大正4年11月10日 | 大礼記念章 |
大正7年6月4日 | 中華民国四等文虎勲章佩用允許 |
大正9年5月10日 | 叙従五位 |
大正10年5月1日 | 勲三等瑞宝章 |
大正9年11月1日 | 大正三年乃至九年戦役従軍記章 |
大正11年11月1日 | 旭日中綬章 賜金930円 |
大正14年5月15日 | 叙正五位 |
昭和5年5月23日 | 勲二等瑞宝章 |
昭和5年6月2日 | 叙従四位 |
昭和6年5月1日 | 帝都復興記念章 |
昭和7年6月15日 | 叙正四位[3] |
昭和9年3月1日 | 満洲国建国功労章佩用允許 |
昭和9年4月20日 | 叙従三位(特旨)[4] |
昭和9年4月29日 | 功三級金鵄勲章(年金700円) 勲一等旭日大綬章 昭和六年乃至九年事変従軍記章 |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[5] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第5888号 明治36年2月21日(土曜日)
- 官報号外 明治39年12月6日(木曜日)
- 官報第8028号 明治43年3月31日(木曜日)
- 官報第539号 大正3年5月18日(月曜日)
- 官報第813号 大正4年4月21日(水曜日)
- 官報第1403号 大正6年4月9日(月曜日)
- 官報第1753号 大正7年6月7日(金曜日)
- 官報第2330号 大正9年5月11日(火曜日)
- 官報第2692号 大正10年7月21日(木曜日)
- 官報第2744号 大正10年9月22日(木曜日)
- 官報第3176号 大正12年3月5日(月曜日)
- 官報第3305号 大正12年8月6日(月曜日)
- 官報第3858号 大正14年7月3日(金曜日)
- 官報第1018号 昭和5年5月24日(土曜日)
- 官報第1056号 昭和5年7月8日(火曜日)
- 官報第1609号 昭和7年5月14日(土曜日)
- 官報第2351号 昭和9年10月31日(水曜日)
- 官報第2798号 昭和11年5月4日(月曜日)