坂西利八郎
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- ばんざい りはちろう
- 坂西利八郎
- 陸軍中将従三位勲二等功四級
- 砲兵
- 士候2 陸大14
- 東京都
- 明治3年12月16日 - 昭和25年5月31日
経歴
明治3年12月16日 | 生[1] |
明治24年7月30日 | 陸軍士官学校卒業(士候2) |
明治25年3月21日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治30年12月28日 | 陸軍大学校入学 |
明治33年12月20日 | 陸軍大学校卒業(第14期) |
明治43年7月22日 | 野砲兵第9聯隊長 |
明治44年10月26日 | 参謀本部附(袁世凱顧問) |
明治45年2月27日 | 陸軍砲兵大佐 |
大正6年8月6日 | 陸軍少将 |
大正10年7月20日 | 任陸軍中将[1]・参謀本部附(黎元洪顧問) |
大正13年9月15日 | 支那政府応聘 |
昭和2年4月7日 | 待命 |
昭和2年4月18日 | 予備役[1]、貴族院議員 |
昭和8年4月1日 | 後備役[1] |
昭和12年4月1日 | 退役 |
昭和21年5月14日 | 辞職 |
昭和25年5月31日 | 死去 |
栄典
明治25年7月6日 | 叙正八位[2] |
明治27年12月5日 | 叙従七位[3] |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章[4] |
明治28年11月30日 | 勲六等瑞宝章 賜金130円 (明治二十七八年戦役ノ功)[5] |
明治39年4月1日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 勲四等旭日小綬章 明治三十七八年従軍記章[6] |
明治44年5月9日 | 大清帝国二等第一双龍宝星佩用允許[7] |
大正3年5月16日 | 勲三等瑞宝章[8][9] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[10] |
大正8年12月15日 | 戦捷記章[11] |
大正10年8月10日 | 叙従四位[12] |
昭和3年11月10日 | 金杯一箇 |
昭和7年10月1日 | 朝鮮昭和五年国勢調査記念章[13] |
昭和9年時点 | 従三位 勲二等旭日重光章 勲二等瑞宝章[1] |
昭和9年4月29日 | 昭和六年乃至九年事変従軍記章[14] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報号外 昭和3年11月10日(土曜日)
- 官報第3098号 昭和12年5月5日(水曜日)
- ↑ 以下の位置に戻る: 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 陸軍後備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和9年4月1日調
- ↑ 官報第2707号 明治25年7月7日(木曜日)
- ↑ 官報第3433号 明治27年12月6日(木曜日)
- ↑ 官報第3947号 明治29年8月24日(月曜日)
- ↑ 官報第3743号 明治28年12月18日(水曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月11日(火曜日)
- ↑ 官報第8382号 明治44年6月2日(金曜日)
- ↑ 官報第539号 大正3年5月18日(月曜日)
- ↑ この時「従五位勲四等功四級」
- ↑ 官報第1333号 大正6年1月15日(月曜日)
- ↑ 官報第2903号 大正11年4月10日(月曜日)
- ↑ 官報第2709号 大正10年8月11日(木曜日)
- ↑ 官報第2668号 昭和10年11月22日(金曜日)
- ↑ 官報第2995号 昭和11年12月24日(木曜日)