城倉義衞
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- しろくら よしえ
- 城倉義衞
- 陸軍中将
- 憲兵
- 士候20
- 長野県
- 明治20年9月27日 - 昭和20年9月13日自決
経歴
明治20年9月27日 | 生 |
明治39年12月1日 | 陸軍士官学校入校 |
明治41年5月27日 | 陸軍士官学校卒業(士候20) |
明治41年12月25日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治44年12月26日 | 任陸軍歩兵中尉 |
大正4年10月15日 | 任陸軍憲兵中尉(転科) |
大正7年7月29日 | 任陸軍憲兵大尉 |
大正13年8月20日 | 任陸軍憲兵少佐 |
昭和2年7月26日 | 憲兵練習所教官 |
昭和5年8月1日 | 任陸軍憲兵中佐・仙台憲兵隊長 |
昭和6年3月11日 | 補憲兵副官 |
昭和9年8月1日 | 任陸軍憲兵大佐・憲兵司令部警務部長 |
昭和11年8月1日 | 京城憲兵隊長 |
昭和12年3月1日 | 関東憲兵隊総務部長 |
昭和13年3月1日 | 陸軍少将 |
昭和13年7月15日 | 関東憲兵隊司令官 |
昭和15年3月9日 | 陸軍憲兵学校長 |
昭和15年12月2日 | 陸軍中将・憲兵司令部本部長 |
昭和16年7月1日 | 北支那派遣憲兵隊司令官(~昭和17年8月1日) |
昭和18年8月26日 | 待命 |
昭和18年8月30日 | 予備役 |
昭和20年9月13日 | 自決 |
栄典
明治45年3月1日 | 叙従七位 |
昭和7年6月15日 | 叙従五位 |
昭和9年2月7日 | 勲三等瑞宝章[1] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[2] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和4年9月1日調
- 官報第8608号 明治45年3月2日(土曜日)
- 官報第1258号 昭和6年3月12日(木曜日)
- 官報第1647号 昭和7年6月28日(火曜日)