外山豐造
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- とやま ぶんぞう
- 外山豐造
- 陸軍中将従三位勲一等功五級
- 歩兵
- 士候12 陸大21
- 和歌山県
- 明治13年10月16日 - 昭和12年2月15日
経歴
明治13年10月16日 | 生[1] |
明治32年12月1日 | 陸軍士官学校入校 |
明治33年11月21日 | 陸軍士官学校卒業(士候12) |
明治33年11月26日 | 見習士官ヲ命ス |
明治34年6月25日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治39年11月22日 | 陸軍大学校入学 |
明治42年12月3日 | 陸軍大学校卒業(第21期) |
大正2年8月22日 | 任陸軍歩兵少佐[2] |
大正7年4月1日 | 任陸軍歩兵中佐[2] |
大正10年7月20日 | 任陸軍歩兵大佐[2]・歩兵第63聯隊長 |
大正11年8月15日 | 参謀本部演習課長 |
大正13年12月15日 | 陸軍大学校兵学教官 |
大正15年3月2日 | 任陸軍少将[2] |
大正15年12月1日 | 歩兵第28旅団長 |
昭和4年8月1日 | 近衛師団司令部附 |
昭和5年3月6日 | 朝鮮憲兵隊司令官 |
昭和6年8月1日 | 任陸軍中将[1] 補憲兵司令官[3] |
昭和7年2月29日 | 台湾守備隊司令官 |
昭和9年8月1日 | 第9師団長[4] |
昭和10年12月2日 | 参謀本部附被仰付[4] |
昭和11年1月15日 | 待命 |
昭和11年1月20日 | 予備役被仰付[5] |
昭和12年2月15日 | 薨去 |
栄典
明治34年10月10日 | 叙正八位[6] |
明治37年2月19日 | 叙従七位[7] |
明治38年8月11日 | 叙正七位[8] |
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲五等双光旭日章 明治三十七八年従軍記章 |
明治43年9月30日 | 叙従六位[9] |
大正4年10月30日 | 叙正六位[10] |
大正9年11月30日 | 叙従五位[11] |
大正14年7月11日 | 中華民国三等文虎勲章佩用允許[12] |
大正14年12月28日 | 叙正五位[13] |
昭和6年1月16日 | 叙従四位[14] |
昭和7年10月1日 | 朝鮮昭和五年国勢調査記念章 |
昭和9年3月1日 | 満洲国満洲国建国功労章佩用允許 |
昭和9年9月1日 | 叙正四位[15] |
昭和11年2月14日 | 叙従三位(特旨)[16] |
昭和12年2月15日 | 薨去 勲一等瑞宝章[17] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報号外 明治39年12月5日(水曜日)
- 官報第1900号 昭和8年5月5日(金曜日)
- 官報第2511号 昭和10年5月20日(月曜日)
- 官報第3059号 昭和12年3月17日(水曜日)
- ↑ 1.0 1.1 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和7年9月1日調
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和4年9月1日調
- ↑ 官報第1378号 昭和6年8月3日(月曜日)
- ↑ 4.0 4.1 官報第2676号 昭和10年12月3日(火曜日)
- ↑ 官報第2713号 昭和11年1月21日(火曜日)
- ↑ 官報第5484号 明治34年10月11日(金曜日)
- ↑ 官報第6188号 明治37年2月20日(土曜日)
- ↑ 官報第6640号 明治38年8月17日(木曜日)
- ↑ 官報第8185号 明治43年10月1日(土曜日)
- ↑ 官報第976号 大正4年11月1日(月曜日)
- ↑ 官報第2500号 大正9年12月1日(水曜日)
- ↑ 官報第3868号 大正14年7月15日(水曜日)
- ↑ 官報第4046号 大正15年2月22日(月曜日)
- ↑ 官報第1225号 昭和6年1月31日(土曜日)
- ↑ 官報第2307号 昭和9年9月7日(金曜日)
- ↑ 官報第2734号 昭和11年2月15日(土曜日)
- ↑ 官報第3037号 昭和12年2月19日(金曜日)