大島久直
ナビゲーションに移動
検索に移動
- おおしま ひさなお
- 大島久直
- 陸軍大将正二位勲一等功二級子爵
- 歩兵
- 秋田県華族
- 嘉永1年9月5日 - 昭和3年9月27日[1]
経歴
嘉永1年9月5日 | 生 |
明治4年5月25日 | 任陸軍中尉(初任) |
明治4年11月22日 | 任陸軍大尉 |
明治7年11月28日 | 任陸軍少佐 |
明治14年2月16日 | 任陸軍歩兵中佐 |
明治14年2月18日 | 陸軍省総務局次長 |
明治15年10月14日 | 東京衛戍司令官 |
明治16年6月29日 | 歩兵第11聯隊長 |
明治20年4月27日 | 任陸軍歩兵大佐 |
明治22年3月12日 | 補近衛歩兵第3聯隊長[2][3] |
明治23年6月13日 | 補陸軍大学校長 |
明治25年2月3日 | 任陸軍少将・歩兵第5旅団長 |
明治25年9月7日 | 監軍部参謀長 |
明治26年11月22日 | 歩兵第6旅団長 |
明治28年5月23日 | 台湾総督府軍政部長 |
明治28年8月8日 | 台湾総督府陸軍参謀長 |
明治29年4月1日 | 参謀本部附被仰付 陸軍大学校長事務取扱被仰付 |
明治29年6月6日 | 歩兵第12旅団長 |
明治30年4月24日 | 陸軍大学校長 |
明治31年10月1日 | 任陸軍中将・第9師団長 |
明治37年5月9日 | 動員下令(日露戦争) |
明治39年5月29日 | 陸軍大将 |
明治39年7月6日 | 近衛師団長 |
明治41年12月21日 | 教育総監 |
明治44年9月6日 | 補軍事参議官 |
大正2年9月5日 | 後備役 |
大正7年4月1日 | 退役 |
維新史料編纂会委員 | |
昭和3年9月27日 | 薨去[1] 授旭日桐花大綬章 |
栄典
明治18年11月19日 | 勲三等旭日中綬章 |
明治28年5月23日 | 勲二等瑞宝章[4] |
明治28年8月20日 | 男爵 功三級金鵄勲章 旭日重光章 |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治35年8月20日 | 叙正四位 |
明治36年5月16日 | 勲一等瑞宝章 |
明治38年8月26日 | 叙従三位 |
明治39年4月1日 | 功二級金鵄勲章(年金1000円) 授旭日大綬章 明治三十七八年従軍記章[5] |
明治40年9月21日 | 子爵 |
明治41年9月30日 | 叙正三位[6] |
大正2年10月10日 | 叙従二位 |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[7] |
大正7年6月18日 | 中華民国一等文虎勲章佩用允許[8] |
大正13年10月15日 | 叙正二位 |
昭和3年9月27日 | 薨去[1] 授旭日桐花大綬章[9] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第2087号 明治23年6月16日(月曜日)
- 官報第3834号 明治29年4月14日(火曜日)
- 官報第5740号 明治35年8月21日(木曜日)
- 官報第8465号 明治44年9月7日(木曜日)
- 官報第3646号 大正13年10月16日(木曜日)
- 官報第532号 昭和3年10月2日(火曜日)
- 官報第536号 昭和3年10月6日(土曜日)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に9月28日とあるのは誤り。
- ↑ 官報第1712号 明治22年3月18日(月曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に4月7日とあるのは誤り。
- ↑ 官報第3578号 明治28年6月5日(水曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月30日(日曜日)
- ↑ 官報第7581号 明治41年10月1日(木曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 官報第1764号 大正7年6月20日(木曜日)
- ↑ この時「退役陸軍大将正二位勲一等功二級子爵」。昭和3年10月15日官報維新史料編纂會委員薨去の欄に「従二位」とあるのは誤りか。